宋名臣言行録 / 前集巻九・孫甫
祁公爲樞宻副使薦於朝得祕閣校理是時天子方銳意更用二三大臣乃極選一時知名士増置諫官使補缺失公以右正言居諫院上好納諫諍未嘗罷言者而至言宫禁事他人猶須委曲開諷而公獨曰所謂后者正嫡也其餘皆猶婢耳貴賤有等用物不宜過僣自古寵女色初不制而後不能制者其禍不可悔上深嘉納之保州兵變前有告者大臣不時發之公因力言樞宻使副當得罪使乃杜祁公也邉將劉滬城水洛於渭州部署尹洙以滬違節度將誅之大臣稍主洙議公以謂水洛通秦渭於國家利滬不可罪由是罷洙而釋滬洙公平生所善者也公在諫院所言補益尤多是三者其一人所難言其二人所難處者其後言宰相以某事當去者上亟爲罷之因以陳執中爲叅知政事公又言執中不可用由是上難之公遂求解職
新字:祁公為枢密副使薦於朝得秘閣校理是時天子方鋭意更用二三大臣乃極選一時知名士増置諫官使補欠失公以右正言居諫院上好納諫諍未嘗罷言者而至言宮禁事他人猶須委曲開諷而公独曰所謂后者正嫡也其余皆猶婢耳貴賤有等用物不宜過僣自古寵女色初不制而後不能制者其禍不可悔上深嘉納之保州兵変前有告者大臣不時発之公因力言枢密使副当得罪使乃杜祁公也邉将劉滬城水洛於渭州部署尹洙以滬違節度将誅之大臣稍主洙議公以謂水洛通秦渭於国家利滬不可罪由是罷洙而釈滬洙公平生所善者也公在諫院所言補益尤多是三者其一人所難言其二人所難処者其後言宰相以某事当去者上亟為罷之因以陳執中為参知政事公又言執中不可用由是上難之公遂求解職
書き下し
祁公、樞宻副使と爲り、朝に薦む。祕閣校理を得たり。是の時、天子、方に意を銳くして更めて二三の大臣を用う。乃ち一時の知名の士を極選し、諫官を増置して缺失を補わしむ。公、右正言を以て諫院に居る。上、諫諍を納るるを好み、未だ嘗て言者を罷めず。而して宫禁の事を言うに至りては、他人は猶お委曲に開諷するを須つ。而して公獨り曰く、所謂る后は正嫡なり。其の餘は皆な猶お婢のごときのみ。貴賤に等有り。物を用うるに宜しく過僣なるべからず。古より女色を寵し、初め制せずして後に制する能わざる者、其の禍い悔ゆ可からずと。上、深く之を嘉納す。保州の兵變、前に告ぐる者有り。大臣、時に之を發せず。公、因りて力めて言う、樞宻使副、當に罪を得べしと。使は乃ち杜祁公なり。邉將劉滬、水洛に城くを渭州に於てす。部署尹洙、滬の節度に違うを以て將に之を誅せんとす。大臣、稍や洙の議を主とす。公以謂えらく、水洛は秦・渭を通ず。國家に利あり。滬、罪す可からずと。是に由りて洙を罷めて滬を釋つ。洙は公の平生善しとする所の者なり。公、諫院に在り、言う所の補益尤も多し。是の三つの者は、其の一は人の言い難き所、其の二は人の處し難き所なり。其の後、宰相の某事を以て當に去るべきを言う。上、亟かに爲に之を罷む。因りて陳執中を以て參知政事と爲す。公又た執中の用う可からざるを言う。是に由りて上、之を難んず。公、遂に職を解かんことを求む。
現代語訳
杜衍が枢密副使となって、朝廷に推薦した。秘閣校理の職を得た。このとき、天子はちょうど意を鋭くして、あらためて二、三人の大臣を用いていた。そこで当代の名の知れた士を選び抜き、諫官を増やして欠けを補わせた。公は右正言として諫院にいた。帝は諫めを容れるのを好み、一度も言った者を罷めなかった。それでも宮中のことを言うとなると、他の者はやはり遠回しに諭す必要があった。ところが公だけがこう言った。「いわゆる后は正嫡です。その他はみな婢のようなものにすぎません。貴賤には等級があります。物を用いるのに、身分を越えてはなりません。昔から女色を寵愛して、はじめに抑えず後に抑えられなくなった者は、その禍いを悔いようがありません」。帝は深く喜んで受け入れた。保州の兵の反乱は、前もって告げた者があった。大臣は時に応じてそれを処置しなかった。公はそこで力を尽くして言った。枢密の正副は罪を得るべきだ、と。その正使とは杜衍のことであった。辺境の将の劉滬が、渭州で水洛に城を築いた。部署の尹洙は、劉滬が指揮に背いたとして誅そうとした。大臣たちはやや尹洙の議を主とした。公は、水洛は秦州と渭州を通じさせる、国家に利がある、劉滬を罪に問うべきではない、と考えた。これによって尹洙を罷めて劉滬を釈放した。尹洙は公が生涯親しくしていた相手であった。公は諫院にあって、述べたことに益が多かった。この三つは、一つは人が言いにくいところ、二つは人が処しにくいところである。その後、宰相をある事で退けるべきだと述べた。帝はすぐにそのために罷めた。そこで陳執中を参知政事とした。公はまた、陳執中は用いるべきでないと述べた。これによって帝は難色を示した。公はそこで職を解くよう求めた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公十五年 韓原の戦い壬戌、韓原に戰ふ。晉の戎馬濘に還りて止まる。公慶鄭を號ぶ。慶鄭曰く、「諫に愎り卜に違ふ、固より敗を是れ求む、又何ぞ逃れん」と。遂に之を去る。梁由靡韓簡を御し、虢射右と為り、秦伯を輅へ、將に之を止めんとす。鄭公を救ふを以て之を誤らしめ、遂に秦伯を失ふ。秦晉侯を獲て以て歸る。晉の大夫首を反し舍を拔きて、之に從ふ。秦伯使ひして辭せしめて曰く、「二三子何ぞ其れ慼へるや。寡人の君に從ひて西するや、亦た晉の妖夢を是れ踐むのみ、豈に敢へて以て至らんや」と。晉の大夫三拜稽首して曰く、「君は后土を履みて皇天を戴く。皇天后土、實に君の言を聞く、群臣敢へて下風に在らん」と。穆姬晉侯の將に至らんとするを聞き、大子罃・弘と女簡・璧とを以て、臺に登りて薪を履む。免服衰絰を以て逆へしめ、且つ告げしめて曰く、「上天災を降し、我が兩君をして玉帛を以て相見えずして、戎を興すを以てせしむ。若し晉君朝に以て入らば、則ち婢子夕べに以て死せん。夕べに以て入らば、則ち朝に以て死せん。唯だ君之を裁け」と。乃ち諸を靈臺に舍らしむ。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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史記 宋微子世家微子開は、殷の帝乙の首子にして帝紂の庶兄なり。紂既に立ち、明らかならず、政に淫乱す。微子数々諫むるも、紂聴かず。祖伊周の西伯昌の徳を修め、黎国を滅ぼすを以て、禍の至らんことを懼れ、以て紂に告ぐるに及ぶ。紂曰く、「我が生は命天に在る有らずや。是れ何をか能く為さん」と。是に於て微子、紂の終に諫むべからざるを度り、之に死せんと欲し、及び去らんとするも、未だ自ら決すること能はず。乃ち太師・少師に問ひて曰く、「殷は治政有らず、四方を治めず。我が祖遂に上に陳ぶ。紂酒に沈湎し、婦人是れ用ひ、湯の徳を下に乱敗す。殷既に小大好んで草窃姦宄し、卿士師師度に非ず、皆罪辜有り、乃ち維れ獲ること无し。小民乃ち并び興り、相敵讎と為る。今殷其れ典喪へり。水を渉るに津涯无きが若し。殷遂に喪ひ、越に今に至る」と。曰く、「太師、少師、我其れ発して出で往かんか。吾が家喪に保たんか。今女故无くして予に告ぐ。顛躋(てんせい)せば、之を如何せん」と。太師若(かく)のごとく曰く、「王子、天篤く菑(わざはひ)を下して殷国を亡ぼす。乃ち畏るべきを畏れず、老長を用ひず。今殷の民乃ち神祇の祀を陋淫す。今誠に国を治むるを得ば、国治まりて身死すとも恨みず。死を為して、終に治むるを得ずんば、去るに如かず」と。遂に亡ぐ。箕子は、紂の親戚なり。紂始めて象箸を為る。箕子嘆じて曰く、「彼象箸を為らば、必ず玉桮を為らん。桮を為らば、則ち必ず遠方の珍怪の物を思ひて之を御せん。輿馬宮室の漸、此より始まり、振ふべからず」と。紂淫泆を為す。箕子諫むるも、聴かず。人或いは曰く、「以て去るべし」と。箕子曰く、「人臣為りて諫めて聴かれずして去るは、是れ君の悪を彰らかにして自ら民に説(よろこ)ばるるなり。吾為すに忍びざるなり」と。乃ち髪を被り詳狂して奴と為る。遂に隠れて琴を鼓きて以て自ら悲しむ。故に之を伝へて箕子操と曰ふ。王子比干は、亦た紂の親戚なり。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 楽書上は朝廷より、下は人民に至るまで、以て歓喜を接し、殷勤を合するを得、此の和説に非ずんば通ぜず、解沢流れず、亦各々一世の化、時を度るの楽なり、何ぞ必ずしも華山の騄耳にして而る後に遠きを行かんや」と。二世之を然りとす。高祖、沛を過りて三侯の章を詩し、小児をして之を歌はしむ。高祖崩じ、沛をして四時に宗廟に歌舞するを得しむ。孝恵・孝文・孝景は増更する所無く、楽府に於いて常を習ひ旧を肄ふのみ。今上即位するに至り、十九章を作り、侍中李延年をして其の声を次序せしめ、拝して協律都尉と為す。一経に通ずるの士も独り其の辞を知る能はず、皆五経の家を集会し、相与に共に講習して之を読み、乃ち能く其の意を通知す、多く爾雅の文なり。漢家常に正月上辛を以て太一を甘泉に祠り、昏時を以て夜祠り、明に到りて終はる。常に流星の祠壇の上を経る有り。僮男僮女七十人をして俱に歌はしむ。春は青陽を歌ひ、夏は朱明を歌ひ、秋は西暤を歌ひ、冬は玄冥を歌ふ。世に多く有り、故に論ぜず。又嘗て神馬を渥洼の水中に得て、復た次して以て太一の歌と為す。歌曲に曰く、「太一貢ぎて天馬下る、赤汗に霑ひて沫赭を流す。騁せて容与として万里を跇ゆ、今安んぞ匹せん、龍を友と為す」と。後に大宛を伐ちて千里の馬を得、馬の名は蒲梢、次して作りて以て歌と為す。歌詩に曰く、「天馬来たる、西極よりす。万里を経て有徳に帰す。霊威を承けて外国を降し、流沙を渉りて四夷服す」と。中尉汲黯進みて曰く、「凡そ王者の楽を作るは、上は以て祖宗を承け、下は以て兆民を化す。今陛下馬を得て、詩して以て歌と為し、宗廟に協す、先帝百姓豈に能く其の音を知らんや」と。上黙然として説ばず。丞相公孫弘曰く、「黯は聖制を誹謗す、当に族すべし」と。凡そ音の起こるは、人心より生ずるなり。人心の動くは、物之をして然らしむるなり。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又喩ヘテ云ハ。賢君明主ハ忠臣ヲ信任シ。諫言ヲ用ル如クシヤ。漢ノ高祖カ諫ニ従フコト流ノ如ク。唐ノ太宗ノ魏徴カ苦諫ノ言ヲ用ヒアリシ類。ソノ如ク。正法ノ因縁アル者ハ必ス不邪見戒ニ随順スルシヤ。此ニ反シテ宿福ナキ者ハ。智者モ愚者モ。学者モ不学者モ仏アルコトヲ信セヌ。法アルコトヲ信セヌ。聖賢アルコトヲ信セヌ。神祇有コトヲ信セヌ。善悪報応有コトヲ信セヌシヤ。

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