宋名臣言行録 / 後集巻九・蘇軾
東坡呼御營廵檢使立於車前曰西來誰何敢爾亂行曰皇后并某國太夫人國婆婆(國婆婆乃上之乳母)某國大長公主也東坡曰可以狀來比至青城諭儀仗使御史中丞李端伯之純曰中丞職當肅政不可不聞李以中宫不敢言東坡曰軾當自奏即於青城上疏劾之明日中使傳命申敕有司嚴整仗衛
新字:東坡呼御営廵検使立於車前曰西来誰何敢爾乱行曰皇后并某国太夫人国婆婆(国婆婆乃上之乳母)某国大長公主也東坡曰可以状来比至青城諭儀仗使御史中丞李端伯之純曰中丞職当粛政不可不聞李以中宫不敢言東坡曰軾当自奏即於青城上疏劾之明日中使伝命申勅有司厳整仗衛
書き下し
東坡御營巡檢使を呼び車前に立たしめて曰く、西より來たるは誰ぞ。何ぞ敢えて爾く行を亂すと。曰く、皇后并びに某國太夫人・國婆婆、某國大長公主なりと。東坡曰く、狀を以て來たる可しと。青城に至るに比びて儀仗使御史中丞李端伯之純に諭して曰く、中丞は職として當に政を肅すべし。聞せざる可からずと。李中宮なるを以て敢えて言わず。東坡曰く、軾當に自ら奏すべしと。即ち青城に於いて上疏して之を劾す。明日中使命を傳えて有司に申敕し、仗衛を嚴整せしむ。
現代語訳
東坡は御営巡検使を呼び、車の前に立たせて言った。「西から来るのは誰か。どうしてそのように行列を乱すのか」。答えて言った。「皇后ならびに某国太夫人・国婆婆、某国大長公主です」。東坡は言った。「書面にして持ってこい」。青城に着くころ、儀仗使である御史中丞の李之純に諭して言った。「中丞は職務として政を粛正すべきである。奏上しないわけにいかない」。李之純は後宮のことなのであえて言わなかった。東坡は言った。「軾が自分で奏上する」。そのまま青城で上疏してこれを弾劾した。翌日、勅使が命を伝えて担当の役所に申し渡し、儀仗と護衛を厳しく整えさせた。
解説
誰かと分かった時点で、たいていの人は下がります。**皇后ならびに某国太夫人・国婆婆、某国大長公主です。**東坡の返しが、感情ではありませんでした。**書面にして持ってこい。**口頭の申し立てを、記録に変えている。そして職掌の人が動けないと分かったとき、代わりに引き受けました。**中丞は職務として政を粛正すべきである。****李之純は後宮のことなのであえて言わなかった。****軾が自分で奏上する。**
この章句が説くこと
西より来たるは誰ぞ何ぞ敢えて爾く行を乱す皇后并びに某国太夫人国婆婆某国大長公主なり状を以て来たる可し李中宮なるを以て敢えて言わず東坡曰く軾当に自ら奏すべし弾劾後宮
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