宋名臣言行録 / 後集巻四・蔡襄
御史吕景初吳中復馬遵坐論梁丞相罷臺職除他官公封還詞頭不草制其後屢有除授非當者必皆封還之而上遇公益厚曰有子如此其母之賢可知命特賜冠帔以寵之
新字:御史呂景初吳中復馬遵坐論梁丞相罷台職除他官公封還詞頭不草制其後屢有除授非当者必皆封還之而上遇公益厚曰有子如此其母之賢可知命特賜冠帔以寵之
書き下し
御史呂景初・吳中復・馬遵、梁丞相を論ずるに坐して臺職を罷められ、他官を除せらる。公詞頭を封じ還して制を草せず。其の後屢ミ除授の當たらざる者有れば、必ず皆之を封じ還す。而して上公に遇すること益ミ厚し。曰く、子有ること此くの如し。其の母の賢なるを知る可しと。命じて特に冠帔を賜いて以て之を寵む。
現代語訳
御史の呂景初・呉中復・馬遵は、梁丞相を弾劾したことによって台の職を解かれ、他の官に任じられた。蔡襄は詔書の草案の指示書きを突き返し、詔を起草しなかった。その後も、任命が不当なものがあれば、必ずすべて突き返した。そして天子は蔡襄を遇することがますます厚くなった。こう言った。「このような子がいるのだから、その母の賢さも推して知るべきだ」。命じて特に冠と披肩を賜って、これを栄誉とした。
解説
詔書を書かないことで人事を止める、という手が、この時代に繰り返し出てきます。富弼が始め、胡宿が使い、蔡襄も使いました。**その後も、任命が不当なものがあれば、必ずすべて突き返した。**繰り返し止められた側の反応が、意外です。**天子は蔡襄を遇することがますます厚くなった。**そして褒め方が変わっています。本人ではなく、母を褒めました。**このような子がいるのだから、その母の賢さも推して知るべきだ。**
この章句が説くこと
御史呂景初吳中復馬遵梁丞相を論ずるに坐して台職を罷めらる公詞頭を封じ還して制を草せず其の後屢ミ除授の当たらざる者有れば必ず皆之を封じ還す子有ること此くの如し其の母の賢なるを知る可し拒否詔書
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