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宋名臣言行録 / 前集巻一・曹彬

為樞宻使向敏中為副使時契丹犯塞繼遷叛命每軍書狎至上必亟召樞臣計議彬則曰此狂㓂當速發兵誅討斬決而已止用強弩若干步兵若干足矣敏中徐曰某所儲廩未備或道途邉逺或出兵非其時當别施方略制之纎悉措置多從敏中所議上謂將帥難其人彬必懇激而言臣請自效更無它説敏中常私怪之及子瑋亦有將材累厯邉任威名甚重晚自樞貳出鎮西鄙臨事整衆酷類先君復果于戰鬭而不肯以安民柔逺為意豈將帥之體固當若是耶

新字:為枢宻使向敏中為副使時契丹犯塞継遷叛命毎軍書狎至上必亟召枢臣計議彬則曰此狂㓂当速発兵誅討斬決而已止用強弩若干歩兵若干足矣敏中徐曰某所儲廩未備或道途邉遠或出兵非其時当別施方略制之繊悉措置多従敏中所議上謂将帥難其人彬必懇激而言臣請自効更無它説敏中常私怪之及子瑋亦有将材累厯邉任威名甚重晩自枢貳出鎮西鄙臨事整衆酷類先君復果于戦闘而不肯以安民柔遠為意豈将帥之体固当若是耶

書き下し

樞宻使と為り、向敏中副使と為る。時に契丹塞を犯し、繼遷命に叛く。軍書狎びに至る毎に、上必ず亟かに樞臣を召して計議す。彬則ち曰く、此れ狂㓂なり。當に速やかに兵を發して誅討し、斬決すべきのみ。止だ強弩若干・步兵若干を用いれば足れりと。敏中徐ろに曰く、某の儲廩する所未だ備わらず、或いは道途邉逺なり、或いは兵を出だすは其の時に非ず。當に别に方略を施して之を制すべしと。纎悉の措置、多く敏中の議する所に從う。上、將帥其の人を難しとすと謂う。彬必ず懇激して言う、臣自ら效さんことを請う、更に它説無しと。敏中常に私かに之を怪しむ。子の瑋に及びて亦た將材有り。累々邉任を厯て威名甚だ重し。晚に樞貳より出でて西鄙を鎮す。事に臨みて衆を整うること酷だ先君に類たり。復た戰鬭に果にして、安民柔逺を以て意と為すことを肯んぜず。豈に將帥の體、固より當に若是くなるべきか。

現代語訳

枢密使となり、向敏中が副使となった。当時、契丹が国境を侵し、李継遷が命に叛いていた。軍からの報告がしきりに届くたび、太宗は必ずすぐに枢密の臣を召して議した。曹彬はいつも言った。「これは狂った賊です。すみやかに兵を出して討ち、斬り決めるべきです。ただ強い弩をこれこれ、歩兵をこれこれ用いれば足ります」。向敏中はゆっくりと言った。「どこそこの備蓄がまだ整っておりません。ある道は遠く、ある場合は兵を出すべき時ではありません。別に方略を立てて抑えるべきです」。細かな手配はおおむね向敏中の議に従った。太宗が、将帥にふさわしい人を得るのは難しいと言うと、曹彬は必ず熱をこめて言った。「臣が自ら力を尽くしましょう。ほかに申すことはありません」。向敏中はいつも内心これを不思議に思っていた。その子の曹瑋にも将の器があった。たびたび辺境の任を歴て、威名はきわめて重かった。晩年に枢密副使から出て西の辺境を鎮めた。事に臨んで衆をまとめるさまは、父にたいそうよく似ていた。そのうえ戦うことに思い切りがよく、民を安んじ遠方をなつけることを心がけようとはしなかった。将帥のあり方とは、もともとこういうものなのだろうか。

解説

会議での二人の型の違いを並べた条です。曹彬はいつも「すぐ討て、これだけの兵で足りる」と言い、向敏中は「備蓄が足りない、道が遠い、時ではない」と言う。**細かな手配はおおむね向敏中の議が採られました。**それでも曹彬は将帥の人選になると必ず自分が行くと申し出る。向敏中はそれを不思議に思っていた、とわざわざ書いてあります。締めは息子の代の話で、編者は判定を保留しました。将帥とはもともとこういうものなのか、と。

この章句が説くこと

彬則ち速やかに兵を発して誅討すべしと曰い敏中徐ろに別に方略を施すべしと曰う繊悉の措置多く敏中の議する所に従う豈に将帥の体固より当に若是くなるべきか会議役割慎重

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