宋名臣言行録 / 後集巻十二・劉安世
溫公言安世平生只是一箇誠字更撲不破誠是天道思誠是人道天人無兩箇道理因舉左右手顧之笑曰只為有這軀殻故假思以通之耳及其成功一也安世自從十五嵗以後便知有這箇道理也曽事事着力畢竟不是只有箇誠字縱横妙用無䖏不通以此杜門獨立其樂無窮恁怎生也動安世不得
新字:温公言安世平生只是一箇誠字更撲不破誠是天道思誠是人道天人無両箇道理因舉左右手顧之笑曰只為有這躯殻故仮思以通之耳及其成功一也安世自従十五歳以後便知有這箇道理也曽事事着力畢竟不是只有箇誠字縦横妙用無䖏不通以此杜門独立其楽無窮恁怎生也動安世不得
書き下し
温公言う、安世は平生只だ是れ一箇の誠の字、更に撲破せず。誠は是れ天道、思誠は是れ人道。天人に兩箇の道理無し、と。因りて左右の手を舉げ、之を顧みて笑いて曰く、只だ這の軀殻有るが爲の故に、思を假りて以て之に通ずるのみ。其の功を成すに及びては一なり、と。安世自ら、十五歲より以後、便ち這箇の道理有るを知る。也た曽て事事に力を着く。畢竟是ならず。只だ箇の誠の字有れば、縱横妙用、通ぜざる處無し。此を以て門を杜ざして獨立するも、其の樂しみ窮まり無し。恁ぞ怎生しても也た安世を動かし得ず、と。
現代語訳
司馬光は言った。「安世は生涯ただ一つの『誠』の字だけで、どうしても打ち壊せない。誠は天の道であり、誠であろうと思うのは人の道である。天と人とに二つの道理はない」。そして左右の手を挙げ、それを見やって笑って言った。「ただこの体があるために、思うという働きを借りてそこへ通じているだけだ。その功を成し遂げたところでは、同じ一つである」。劉安世自身も言った。「私は十五歳より後、この道理があることを知った。それでも一つ一つの事に力を入れてきた。だが結局それでは駄目だった。ただこの『誠』の一字さえあれば、縦にも横にも見事に働いて、通じないところがない。これによって門を閉ざして独りでいても、その楽しみは尽きない。どうやっても、この安世を動かすことはできない」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『大和俗訓』巻之七・躬行下一程子曰、財ををしみては、よく善を行ふことなり難し。誠なくしては、善をなす事はなり難しと。此言むべなるかな。財を用ひずして、ただ言を以て人をかたらふとも、人を救ひがたし。人もまた悦ばずして其人のために忠を尽さざれば功をなすこと成りがたし。項羽を婦人の仁といひしも是なり。又凡の事、いつはりを以て善を行へば、中心より出でざる故、善を行ふに専一ならずして、其事成就せず。誠の善とすべからず。人も亦信とせず。感通の理なし。
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『弁名』誠又た仁斎先生の無妄と無偽とを以て其の優劣を争ふが如きも、亦た朱子の意は虚妄無きを謂ふのみなるを知らず。其の所謂春当に温かなるべくして反つて寒く、夏当に熱かるべくして反つて冷え、夏に霜ふり、冬に雷なり、桃李華さき、五星逆行し、日月度を失ふの類、豈に虚妄と為すべけんや。東坡の所謂「人は至らざる所無し、惟だ天のみ偽を容れず」とは、其の人の偽を容れざるを謂ふのみ。天の偽らざるを謂ふに非ざるなり。嗚呼、天豈に偽不偽を以て言ふべけんや。是れ其の今言に於いて猶ほ未だ之を知らず。況んや古言に於いてをや。
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『大和俗訓』巻之三・心術上一およそ人の一念の不善も、かならず天に通ずる理あり。天は高きに居て、ひききに聞くといへり。上天を欺くべからず。おそるべし。人をあざむけば、つひに其、偽あらはる。内に誠あれば、必外にあらはるといへり。下人をあざむくべからず。恥づべし。天を欺き、人をあざむくは、共に我が心を欺くによれり。我が心に不善と知りながら、これを行ふ、是自欺なり。我が心あざむくべからず。およそ、天と人と我が心と、皆あざむくべからず。唯一すぢに誠あるべし。ここを以て、君子の心は、つねに青天白日の如くなり。小人の心は、常に陰暗くしてはかりがたし。
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『洗心洞箚記』卷下・第九十一條是の故に賢愚と無く、学に志せば、則ち断じて是を以て準的と為す。則ち康荘大道の上を行くの人にして、邪径曲路を踏む者に非ざるなり。而して其の成不成も亦命なるのみ。君子は命を云はず、只義を以て主と為す。則ち誠を以て準的と為す、義焉より大なるは莫し。陽明先生曰く、大学の要は、誠意のみと。此を以てなり。而して程朱居敬窮理の工も、要するに亦誠に帰するのみ。豈に他有らんや。而して其の学者静坐し、其の子陽辟して書を読み、其の勤惰を知らず、或いは冊子の上に放著して、心を治むるの工を知らず。是れ皆其の末学の弊なり。程朱の学にして安んぞ之有らんや。故に湯潜菴先生曰く、宋儒は主敬を言ふ。陽明は学者の一の敬の字を執著呆守するに過ぎて、反つて是れ不敬なるを恐る。故に人に教へて只良知を提醒せしむ。吾謂へらく、良知を昏まさざる者は、敬なり。敬の執著せざる所の者は、良知なりと。要するに誠に帰するを以て準的と為して問学すれば、則ち主敬と曰ふも亦可なり、致良知と曰ふも亦可なり。否ずんば則ち博学浩聞も、即ち門外の乞児なり。反観内省も、即ち葱嶺の髡徒なり。豈に道を学ぶと曰はんや。
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