宋名臣言行録 / 前集巻二・李沆
真宗初即位沆為相王旦參政沆日取四方水旱盗賊奏之旦以為細事不足煩上聴沆曰人主少年長使知四方艱難不然血氣方剛不留意聲色犬焉則土木甲兵禱祠之事作矣吾老不及見此參政他日之憂也及旦親見王欽若丁謂等所為欲諌則業已同之欲去則上遇之厚不忍去乃歎曰李文靖真聖人也
新字:真宗初即位沆為相王旦参政沆日取四方水旱盗賊奏之旦以為細事不足煩上聴沆曰人主少年長使知四方艱難不然血気方剛不留意声色犬焉則土木甲兵祷祠之事作矣吾老不及見此参政他日之憂也及旦親見王欽若丁謂等所為欲諌則業已同之欲去則上遇之厚不忍去乃嘆曰李文靖真聖人也
書き下し
真宗初めて即位す。沆相と為り、王旦參政たり。沆、日々に四方の水旱・盗賊を取りて之を奏す。旦以て細事にして上聴を煩わすに足らずと為す。沆曰く、人主は少年なり。長えに四方の艱難を知らしめよ。然らずんば、血氣方に剛にして、聲色犬馬に意を留めざれば、則ち土木・甲兵・禱祠の事作らん。吾れ老いて此を見るに及ばず。參政の他日の憂いなりと。旦の親しく王欽若・丁謂等の為す所を見るに及び、諌めんと欲すれば則ち業已に之を同じくす。去らんと欲すれば則ち上の之を遇すること厚く、去るに忍びず。乃ち歎じて曰く、李文靖は真の聖人なりと。
現代語訳
真宗が即位したばかりのころ、李沆が宰相で、王旦が参知政事であった。李沆は毎日、各地の水害・旱害や盗賊のことを取り上げて奏上した。王旦は、細かなことで主上のお耳を煩わせるには及ばないと考えた。李沆は言った。「主上はお若い。四方の困難をいつも知っておいていただくのだ。そうでなければ、血気がまさに盛んなのだから、音楽や女色や犬馬に心を向けないとしても、そのぶん土木や兵事や祈祷の事を起こすようになる。私は老いてそれを見るには至るまい。参政どのの後日の憂いだ」。王旦は後に王欽若や丁謂らのすることを目の当たりにした。諌めようとすれば、自分はすでに同調してしまっている。去ろうとすれば、主上の待遇が厚くて去るに忍びない。そこで嘆じた。「李文靖はまことの聖人だ」。
解説
この章句が説くこと
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