宋名臣言行録 / 前集巻四・楊億
公以文章擅天下然剛勁寡合有惡之者以事譛之大年在學士院忽夜召見于一小閤深在禁中既見賜茶從容顧問乆之出文稿數篋以示大年云卿識朕書蹟乎皆朕自起草未嘗命臣下代作也大年惶恐不知所對䪺首再拜而出乃知必為人所譛矣
新字:公以文章擅天下然剛勁寡合有悪之者以事譛之大年在学士院忽夜召見于一小閤深在禁中既見賜茶従容顧問乆之出文稿数篋以示大年云卿識朕書跡乎皆朕自起草未嘗命臣下代作也大年惶恐不知所対䪺首再拝而出乃知必為人所譛矣
書き下し
公、文章を以て天下に擅なり。然れども剛勁にして合うこと寡なし。之を惡む者有り、事を以て之を譛る。大年、學士院に在り。忽ち夜、召されて一小閤に見ゆ。深く禁中に在り。既に見ゆ。茶を賜い、從容として顧問すること之を乆しくす。文稿數篋を出だして以て大年に示して云う、卿、朕の書蹟を識るかと。皆な朕、自ら起草す。未だ嘗て臣下に命じて代作せしめざるなりと。大年惶恐して對うる所を知らず。䪺首再拜して出づ。乃ち必ず人の譛る所と為るを知れり。
現代語訳
公は文章によって天下に並ぶ者がなかった。しかし剛直で、人と合うことが少なかった。それを憎む者があって、事にかこつけて讒言した。楊億は学士院にいた。突然、夜になって召されて小さな部屋で拝謁した。宮中の深いところであった。拝謁すると、茶を賜り、ゆったりと長いあいだ言葉をかけられた。文稿を数箱取り出して楊億に見せて言った。「卿は私の筆跡を知っているか。みな私が自分で草を起こしたものだ。臣下に命じて代作させたことは一度もない」。楊億は恐れ入って、何と答えてよいか分からなかった。頭を下げて再び拝して退出した。そこで、きっと誰かに讒言されたのだと悟った。
解説
夜中に宮中の奥へ呼び出され、茶を出され、文稿の箱を見せられた条です。言われたのは一つだけでした。**卿は私の筆跡を知っているか。みな私が自分で草を起こしたものだ。臣下に代作させたことは一度もない。**咎めても問い詰めてもいません。楊億が退出してから悟ったのは、自分が「詔を代作していると吹聴している」と讒言されたのだ、ということでした。何も言わずに否認だけを見せた場面です。
この章句が説くこと
卿朕の書跡を識るか皆な朕自ら起草す未だ嘗て臣下に命じて代作せしめざるなり乃ち必ず人の譛る所と為るを知れり讒言暗示釈明
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