宋名臣言行録 / 後集巻十一・蘓頌
頃時王安石薦李定陳襄彈之未行間擢太子中允宋次道(敏求)封還辭頭翌日辭職罷之又下次直李大臨蘓子容相繼封還更奏復下至於七入子容與大臨俱落職奉朝請名譽赫然此乃祖宗德澤百餘年養成風俗公論之不可屈如此與齊太史書崔杼弑其君殺三人而執筆如初者何異其後攝官修起居注章衡行之賢不肖於此可見要之公論不可一日廢然在上則治在下則亂可以卜世也
新字:頃時王安石薦李定陳襄弾之未行間擢太子中允宋次道(敏求)封還辞頭翌日辞職罷之又下次直李大臨蘓子容相継封還更奏復下至於七入子容与大臨倶落職奉朝請名誉赫然此乃祖宗徳沢百余年養成風俗公論之不可屈如此与斉太史書崔杼弑其君殺三人而執筆如初者何異其後摂官修起居注章衡行之賢不肖於此可見要之公論不可一日廃然在上則治在下則乱可以卜世也
書き下し
頃時、王安石李定を薦む。陳襄之を彈じて未だ行われざる間に、太子中允に擢づ。宋次道(敏求)辭頭を封還す。翌日職を辭して之を罷む。又た次いで李大臨・蘇子容に下す。相い繼いで封還す。更めて奏して復た下し、七たび入るに至る。子容と大臨と俱に職を落とされて朝請を奉ず。名譽赫然たり。此れ乃ち祖宗の德澤百餘年、風俗を養成し、公論の屈す可からざること此くの如し。齊の太史崔杼其の君を弑すと書し、三人を殺されて筆を執ること初めの如くなる者と何ぞ異ならん。其の後、官を攝りて起居注を修むるに、章衡之を行う。賢不肖此に於いて見る可し。之を要するに、公論は一日も廢す可からず。然れども上に在れば則ち治まり、下に在れば則ち亂る。以て世を卜す可きなり。
現代語訳
先ごろ、王安石が李定を推薦した。陳襄がこれを弾劾したがまだ通らないうちに、李定は太子中允に抜擢された。中書舎人の宋敏求は辞令の草案を封じて突き返した。翌日、職を辞してこれをやめさせられた。次いで李大臨、蘇頌に草案が下された。二人も相次いで封じ返した。あらためて奏上してまた下し、七度も繰り返された。蘇頌と李大臨はともに職を解かれて朝請の身となった。だが名誉はまばゆいばかりであった。これこそ祖宗の恩沢が百余年かけて風俗を養い育てたものであり、公論が屈しないことがこれほどであった。斉の太史が「崔杼その君を弑す」と書き、三人まで殺されながら初めと同じように筆を執ったのと、何の違いがあろうか。その後、代理で起居注を修める役に就いたとき、章衡はこの辞令を通してしまった。賢者と愚者の違いは、ここに見てとれる。要するに、公論は一日も廃してはならない。ただし公論が上にあれば世は治まり、下にあれば乱れる。それによってその世を占うことができる。
解説
この章句が説くこと
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『宋名臣言行録』後集巻十一・蘓頌子容以謂えらく、賊の己に干らざる者を吿げ捕えしめ、而も主を變じて匿名にするは、本と未だ深く過つに足らず。而るに先帝猶お吿訐の風を長ぜんことを恐る。此れ所謂忠厚の至りなり。然れども熙寧・元豐の間、一法を立つる每に、手實・鹽と牛皮とを禁ずるの類の如きは、皆重賞を立てて以て吿訐する者を勸む。此れ當時の小人の爲す所にして、先帝の本意に非ず、と。時に范祖禹坐に在りて曰く、當に之を實錄に書すべし、と。
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『宋名臣言行録』前集巻九・孫甫慶歴中、孫甫・蔡襄、諫官と爲る。宰臣晏殊、官兵を役して邸舍を治め、懷安・茍且にして公に向かうの心無きを言う。遂に殊の政事を罷む。而して甫等、因りて富弼を薦めて殊に代えんとす。上怒りて、以謂えらく、宰相を進用するは人主の任なり。臣下、指陳する所有るべからずと。遂に陳執中を相とす。而して甫等、極めて執中の用う可からざるを言う。聽かれず。罷めんことを求む。
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『宋名臣言行録』後集巻十一・蘓頌公天官を掌る。選人の官を改め、京朝官・使臣の關陞・磨勘、或いは功過を以て陞降に當たる者有る每に、吏は垢を洗いて瑕を求め、故らに稽滯を爲す。公吏に敕して曰く、某官は某事に緣りて當に某處に會すべし。仍お合に用うべき條格を引き、具さに漏落無きの狀を委ねて同に上れ、と。是れより吏逞しくするを得ず。訴うる者至る每に、必ず案牘を取りて自ら省閲せしむ。訴うる者服して乃ち退く。其の服せざれば、公必ず往復して詰難し、行う可きを度りて之を行う。苟くも疑い有れば則ち之が爲に奏請し、或いは都堂に建白す。故に士大夫の賜を受くる者多くして、得ざる者も亦た以て憾む可き無しと爲す。
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『宋名臣言行録』前集巻九・孫甫祁公、樞宻副使と爲り、朝に薦む。祕閣校理を得たり。是の時、天子、方に意を銳くして更めて二三の大臣を用う。乃ち一時の知名の士を極選し、諫官を増置して缺失を補わしむ。公、右正言を以て諫院に居る。上、諫諍を納るるを好み、未だ嘗て言者を罷めず。而して宫禁の事を言うに至りては、他人は猶お委曲に開諷するを須つ。而して公獨り曰く、所謂る后は正嫡なり。其の餘は皆な猶お婢のごときのみ。貴賤に等有り。物を用うるに宜しく過僣なるべからず。古より女色を寵し、初め制せずして後に制する能わざる者、其の禍い悔ゆ可からずと。上、深く之を嘉納す。保州の兵變、前に告ぐる者有り。大臣、時に之を發せず。公、因りて力めて言う、樞宻使副、當に罪を得べしと。使は乃ち杜祁公なり。邉將劉滬、水洛に城くを渭州に於てす。部署尹洙、滬の節度に違うを以て將に之を誅せんとす。大臣、稍や洙の議を主とす。公以謂えらく、水洛は秦・渭を通ず。國家に利あり。滬、罪す可からずと。是に由りて洙を罷めて滬を釋つ。洙は公の平生善しとする所の者なり。公、諫院に在り、言う所の補益尤も多し。是の三つの者は、其の一は人の言い難き所、其の二は人の處し難き所なり。其の後、宰相の某事を以て當に去るべきを言う。上、亟かに爲に之を罷む。因りて陳執中を以て參知政事と爲す。公又た執中の用う可からざるを言う。是に由りて上、之を難んず。公、遂に職を解かんことを求む。
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『宋名臣言行録』後集巻三・文彦博至和の初め、陳恭公相を罷め、並びに文・富を用う。麻を宣するの際、上小黄門を遣わし、密かに百官の班中に於いて其の議論を聽かしむ。二公久しく人望有り。一旦復た用いられて朝士相い賀す。黄門具さに奏す。上大いに悅ぶ。予は學士爲り。後數日、垂拱殿に奏事す。上問う、新たに除する彦博等、外議如何と。余、朝士相い賀するを以て對う。上曰く、古の君の人を用うるは或いは夢卜を以てす。苟くも人を知らずんば、當に人望に從うべし。夢卜豈に憑むに足らんやと。故に余、文公の批答を作りて云う、永く商周の記す所を惟うに、夢卜を以て賢を求むるに至る。孰か搢紳の公言を用い、中外の人望に從うに若かんやと。上の語を具述するなり。
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『宋名臣言行録』後集巻六・王安石始め小官と爲り、仕進に急急とせず。皇祐中、文潞公相と爲り、公及び張□・曾公定・韓維の四人の恬退なるを薦め、朝廷の不次に進用して以て澆競の風を激せんことを乞う。旨有りて皆其の名を籍記す。至和中、館職に召試せらる。固辭す。乃ち羣牧判官を除せらる。又た辭するも許されず。乃ち職に就く。懇ろに外補を求めて常州を得たり。是に由りて名は天下に重く、士大夫は其の面を識らざるを恨む。朝廷嘗て授くるに美官を以てせんと欲し、惟だ其の肯えて就かざるを恐る。