宋名臣言行録 / 前集巻四・冦凖
公好士樂善不倦丁謂种放之徒皆出其門嘗語所親曰丁生誠竒材惟不堪重任公為相謂參政嘗㑹食都堂羮染公鬚謂起拂之公正色曰身為執政而親為宰相拂鬚耶謂慙不勝公恃正直而不虞巧佞故卒為所陷
新字:公好士楽善不倦丁謂种放之徒皆出其門嘗語所親曰丁生誠奇材惟不堪重任公為相謂参政嘗会食都堂羹染公鬚謂起払之公正色曰身為執政而親為宰相払鬚耶謂慚不勝公恃正直而不虞巧佞故卒為所陥
書き下し
公、士を好み善を樂しみて倦まず。丁謂・种放の徒、皆な其の門に出づ。嘗て親しむ所に語りて曰く、丁生は誠に竒材なり。惟だ重任に堪えずと。公、相と為り、謂、參政たり。嘗て都堂に㑹食す。羮、公の鬚を染む。謂、起ちて之を拂う。公、色を正して曰く、身は執政と為りて、親ら宰相の為に鬚を拂うかと。謂、慙じて勝えず。公、正直を恃みて巧佞を虞らず。故に卒に陷る所と為る。
現代語訳
公は士を好み、善を楽しんで飽きることがなかった。丁謂や种放の類は、みなその門から出た。かつて親しい者に語った。「丁謂はまことに珍しい才だ。ただ重い任には堪えない」。公が宰相となり、丁謂が参知政事であった。あるとき都堂で食事を共にした。羹が公の髭を汚した。丁謂は立ってそれを拭った。公は顔つきを改めて言った。「その身は執政でありながら、自ら宰相のために髭を拭うのか」。丁謂は恥じ入って堪えられなかった。公は自分の正直を頼みにして、巧みな媚びへつらいを警戒しなかった。だからついに陥れられた。
解説
「溜鬚」という言葉の出どころになった条です。羹で汚れた髭を、参政が立って拭いた。その身は執政でありながら、自ら宰相のために髭を拭うのか。恥をかかせたのが人前でした。丁謂はこの後、寇準を海辺へ流します。締めが編者の評です。公は自分の正直を頼みにして、巧みな媚びへつらいを警戒しなかった。だからついに陥れられた。才を見抜いてはいましたが、恨みのほうは計算していませんでした。
この章句が説くこと
身は執政と為りて親ら宰相の為に鬚を払うか丁生は誠に奇材なり惟だ重任に堪えず公正直を恃みて巧佞を虞らず故に卒に陥る所と為る面目恨み正直
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