宋名臣言行録 / 後集巻十一・范純仁
公攝帥成都程子将吿歸既見曰先生何以告我子曰公嘗言為将帥當使士卒視已如父母然後可用然乎公曰如何子曰公言是也然公為政不若是何也公曰可得聞與
新字:公摂帥成都程子将吿帰既見曰先生何以告我子曰公嘗言為将帥当使士卒視已如父母然後可用然乎公曰如何子曰公言是也然公為政不若是何也公曰可得聞与
書き下し
公成都に攝帥す。程子將に歸るを吿げんとす。既に見えて曰く、先生何を以て我に吿げんと。子曰く、公嘗て言えり、將帥と爲るは當に士卒をして己を視ること父母の如くならしめ然る後に用う可しと。然りやと。公曰く、如何と。子曰く、公の言は是なり。然れども公の政を爲すは是くの若くならざるは何ぞやと。公曰く、聞くを得可きかと。
現代語訳
公は成都で帥を代行していた。程頤がちょうど帰任の挨拶をしようとしていた。会って言った。「先生は何を私に告げてくださいますか」。程頤は言った。「公はかつてこう言われた。将帥となる者は、兵たちに自分を父母のように見させ、そのうえではじめて用いることができる、と。そうでしたか」。公は言った。「そのとおりです」。程頤は言った。「公のお言葉は正しい。しかし公の政がそのようになっていないのは、なぜですか」。公は言った。「聞かせていただけますか」。
解説
別れ際に何か教えてくれ、と求められた場面です。答えが、新しい教訓ではありませんでした。相手自身が言った言葉を持ち出しています。公はかつてこう言われた。将帥となる者は、兵たちに自分を父母のように見させ、そのうえではじめて用いることができる、と。確認を取ってから、一行だけ足しました。しかし公の政がそのようになっていないのは、なぜですか。言っていることと、していることの間を指しただけです。
この章句が説くこと
公成都に摂帥す程子将に帰るを吿げんとす先生何を以て我に吿げん将帥と為るは当に士卒をして己を視ること父母の如くならしめ然る後に用う可し公の言は是なり然れども公の政を為すは是くの若くならざるは何ぞや帰任忠告
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