宋名臣言行録 / 後集巻十二・劉安世
公自宣和元日以後謝絶賔客四方書問皆不啓封家事無巨細悉不問夏六月丙午忽大風飛瓦驟雨如注雷電晝晦於公正寝人皆駭懼而走及雨止辨色公巳終矣聞者咸異焉及□楊中立以文弔之曰刼火洞然不燼惟玉搢紳往往傳誦以為切當
新字:公自宣和元日以後謝絶賔客四方書問皆不啓封家事無巨細悉不問夏六月丙午忽大風飛瓦驟雨如注雷電昼晦於公正寝人皆駭懼而走及雨止弁色公巳終矣聞者咸異焉及□楊中立以文弔之曰刼火洞然不燼惟玉搢紳往往伝誦以為切当
書き下し
公宣和の元日より以後、賓客を謝絶す。四方の書問皆な封を啓かず。家事は巨細と無く悉く問わず。夏六月丙午、忽ち大風瓦を飛ばし、驟雨注ぐが如く、雷電晝晦し、公の正寝に於いてす。人皆な駭懼して走る。雨止み色を辨ずるに及び、公已に終われり。聞く者咸な焉を異とす。□に及び、楊中立文を以て之を弔して曰く、劫火洞然たるも、燼きざるは惟だ玉のみ、と。搢紳往往傳誦して以て切當と爲す。
現代語訳
劉安世は宣和の元日より後、来客を断った。各地からの手紙も、みな封を開かなかった。家の事は大小を問わず、いっさい口を出さなかった。夏六月丙午の日、突然、大風が瓦を飛ばし、にわか雨が注ぐように降り、雷と稲光で昼が暗くなり、それが劉安世の寝所の上で起こった。人々は皆おびえて逃げ出した。雨がやんで物の色が見分けられるようになったとき、劉安世はすでに息を引き取っていた。聞いた者はみな不思議がった。□〔一字を欠く〕にあたって、楊時が文を書いて弔い、こう言った。「劫火が燃えさかっても、焼け尽くされないのは、ただ玉だけである」。士大夫たちはしばしばこれを伝え唱え、まことに言い当てていると評した。
解説
死ぬ前の身じまいが、まず書かれています。**来客を断った。各地からの手紙も、みな封を開かなかった。家の事は大小を問わず、いっさい口を出さなかった。**外との糸を一本ずつ切ってから、その日が来ました。最期は嵐のなかです。**人々は皆おびえて逃げ出した。**そして弔いの一句が、この人の生涯を一行にします。**劫火が燃えさかっても、焼け尽くされないのは、ただ玉だけである。**七年の流刑と暗殺の企てを経て焼け残ったものが、玉に喩えられました。
この章句が説くこと
公宣和の元日より以後賓客を謝絶す四方の書問皆な封を啓かず家事は巨細と無く悉く問わず雷電昼晦し公の正寝に於いてす人皆な駭懼して走る劫火洞然たるも燼きざるは惟だ玉のみ最期身仕舞
関連する章句
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