宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
仁宗崩英宗以哀毁致疾慈聖光獻太后同聽政公首上疏言章獻明肅太后保佑先帝進賢去奸有大功於趙氏特以親用外戚小人故負謗天下今太后初攝大政大臣忠厚如王曾清純如張知白剛正如魯宗道質直如薛奎者當信用之鄙偎如馬季良讒謟如羅崇勲者當疎逺之則天下服
新字:仁宗崩英宗以哀毀致疾慈聖光献太后同聴政公首上疏言章献明粛太后保佑先帝進賢去奸有大功於趙氏特以親用外戚小人故負謗天下今太后初摂大政大臣忠厚如王曽清純如張知白剛正如魯宗道質直如薛奎者当信用之鄙偎如馬季良讒謟如羅崇勲者当疎遠之則天下服
書き下し
仁宗崩ず。英宗哀毀を以て疾を致す。慈聖光獻太后同じく聽政す。公首めて上疏して言う、章獻明肅太后は先帝を保佑し、賢を進め奸を去り、趙氏に大功有り。特に親しく外戚小人を用うるを以ての故に、天下に謗を負う。今太后初めて大政を攝る。大臣の忠厚なること王曾の如く、清純なること張知白の如く、剛正なること魯宗道の如く、質直なること薛奎の如き者は、當に之を信用すべし。鄙偎なること馬季良の如く、讒諂なること羅崇勲の如き者は、當に之を疎遠すべし。則ち天下服せんと。
現代語訳
仁宗が崩じた。英宗は悲しみのあまり体を損ねて病んだ。慈聖光献太后がともに政を聴いた。司馬光はまっさきに上疏して言った。「章献明粛太后は先帝を守り助け、賢者を進め奸を除いて、趙氏に大きな功がありました。ただ、身内である外戚の小人を近く用いたために、天下から謗りを負いました。いま太后がはじめて大政を代行されます。大臣のうち、忠実で厚いこと王曾のような、清らかで純なること張知白のような、剛く正しいこと魯宗道のような、飾らず率直なこと薛奎のような者は、信じて用いるべきです。卑しく取り入ること馬季良のような、へつらい謗ること羅崇勲のような者は、遠ざけるべきです。そうすれば天下は服します」。
解説
この章句が説くこと
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