宋名臣言行録 / 前集巻十・胡瑗
在湖州置治道齋學者有欲明治道者講之於中如治兵治民水利筭數之類嘗言劉彛善水利後累為政皆興水利有功
新字:在湖州置治道斎学者有欲明治道者講之於中如治兵治民水利筭数之類嘗言劉彛善水利後累為政皆興水利有功
書き下し
湖州に在りて治道齋を置く。學者に治道を明らかにせんと欲する者有れば、之を中に講ず。治兵・治民・水利・筭數の類の如し。嘗て言う、劉彝は水利に善しと。後、累りに政を爲すに、皆水利を興して功有り。
現代語訳
湖州にいたとき、治道斎という部屋を置いた。学ぶ者のなかに、世を治める道を明らかにしたいという者がいれば、そこで講義した。兵を治めること、民を治めること、水利、算数といった類である。あるとき、劉彝は水利に向いていると言った。後に劉彝は各地で政を執り、どこでも水利を興して功績を挙げた。
解説
程頤の記録から。経書だけを読ませていません。**兵を治めること、民を治めること、水利、算数**が、そのまま教室の科目として並んでいます。そのうえで、一人ずつ向く分野を見立てた。**劉彝は水利に向いている**と言い、実際その人は行く先々で水利を興して功を挙げました。教えることと、人を見分けることが同じ場所で行われている。後の治事斎(六六〇)の条につながります。
この章句が説くこと
湖州に在りて治道斎を置く治兵治民水利筭数の類の如し劉彝は水利に善しと嘗て言う実務適性教育
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