宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
争議不已王珪進曰救災節用宜自貴近始光言是也然所費無幾恐傷國體安石言亦是惟明主裁擇上曰朕意與光同然姑以不允答之日録又云臣非謂今日得兩府郊賚能富國也欲陛下以此為裁省之始爾且陛下強裁省之則失體今大臣以河北災傷憂公體國自求省郊賚從其請所以成其美何傷體之有
新字:争議不已王珪進曰救災節用宜自貴近始光言是也然所費無幾恐傷国体安石言亦是惟明主裁択上曰朕意与光同然姑以不允答之日録又云臣非謂今日得両府郊賚能富国也欲陛下以此為裁省之始爾且陛下強裁省之則失体今大臣以河北災傷憂公体国自求省郊賚従其請所以成其美何傷体之有
書き下し
爭議已まず。王珪進みて曰く、災を救い用を節するは宜しく貴近より始むべしとの光の言は是なり。然れども費やす所は幾ばくも無し。恐らくは國體を傷つけん。安石の言も亦た是なり。惟だ明主の裁擇のみと。上曰く、朕の意は光と同じ。然れども姑く以て不允を以て之に答うと。日錄に又た云う、臣は今日兩府の郊賚を得て能く國を富ますと謂うに非ざるなり。陛下の此を以て裁省の始めと爲さんことを欲するのみ。且つ陛下強いて之を裁省すれば則ち體を失う。今大臣河北の災傷を以て憂え、公國を體して自ら郊賚を省くを求む。其の請に從うは其の美を成す所以なり。何ぞ體を傷つくること之れ有らんと。
現代語訳
論争はやまなかった。王珪が進み出て言った。「災害を救い費用を節するのは身分の高い者から始めるべきだ、という司馬光の言は正しいものです。しかし費やす額はいくらもありません。おそらく国の体面を損なうでしょう。王安石の言もまた正しいものです。ただ明君のご裁断を仰ぐばかりです」。天子は言った。「朕の考えは司馬光と同じである。しかしひとまず、認めないという形で答えておこう」。『日録』にはまたこうある。「臣は、今日この両府の郊祀の賜物を止めることで国を富ませられると言っているのではありません。陛下がこれをもって節減の始まりとされることを望むだけです。そのうえ、陛下が強いて削れば体面を失います。いま大臣が河北の災害を憂え、公の立場で国を思って自ら郊祀の賜物を省くことを願い出ているのです。その願いを認めるのは、その美点を成し遂げさせることです。どうして体面を損なうことがありましょうか」。
解説
この章句が説くこと
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『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光公學士王珪・王安石と同じく對す。公言う、災を救い用を節するは宜しく貴近より始むべし。兩府の賜を辭するを聽す可しと。安石曰く、常衮賜饌を辭す。時議以爲えらく、衮は自ら能わざるを知る。當に位を辭すべく、當に禄を辭すべからずと。且つ國用の不足は當今の急務に非ざるなりと。公曰く、衮の禄を辭するは猶お禄を持して位を固むる者より賢れり。國用の不足は眞に急務なり。安石の言は是に非ずと。
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『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光執政、河朔の災傷、國用不足を以て、今歳の親郊に兩府金帛を受けざらんことを乞う。學士院に送りて旨を取らしむ。公言う、兩府の賜わる所は匹兩を以て計るに止だ二萬。未だ以て災を救うに足らず。宜しく皆半ばに減ずべしと。
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『宋名臣言行録』後集巻十・韓維初め公と王安石と雅ミ相い厚善なり。安石執政するに及び、公國事を議して始めて異同多し。是に至りて議者三經の義を廢せんと欲す。公以爲えらく、安石の經義は宜しく先儒の説と並び行わるべし。當に廢すべからずと。司馬光と公と平生の交わり。俱に耆舊を以て進用せらる。事に臨むに至りては未だ嘗て一語も附合せず。務めて茍同を爲さず。人其の平らかなるに服す。
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『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光安石曰く、足らざるは未だ善く財を理むる者を得ざるを以てなりと。公曰く、善く財を理むる者は頭會箕斂して以て民財を盡くすに過ぎず。民窮して盗と爲るは國の福に非ずと。安石曰く、然らず。善く財を理むる者は賦を加えずして上用足ると。公曰く、天下安んぞ此の理有らんや。天地の生ずる所の財貨百物は止だ此の數有るのみ。民に在らずんば則ち官に在り。譬えば雨澤の夏に澇すれば則ち秋に旱するが如し。賦を加えずして上用足るとは、法を設けて陰かに民の利を奪うに過ぎず。其の害は賦を加うるより甚だし。此れ乃ち桑□羊の漢の武帝を欺きし言なり。太史公之を書して以て武帝の明ならざるを見わすのみ。其の末年に至りて盗賊蜂起し幾ど亂に至る。若し武帝禍を悔いず昭帝法を變ぜずんば、則ち漢幾ど亡びんと。
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『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光上曰く、坐倉糴米は何如と。坐する者皆起ちて曰く、不便なり。上已に之を罷めたり。幸甚と。上曰く、未だ罷めざるなりと。公曰く、京師に七年の儲有り。而して錢は常に乏し。若し坐倉せば錢は益ミ乏しく米は益ミ陳ならん。奈何と。惠卿曰く、坐倉して米百萬斛を得れば則ち東南百萬の漕を省く。其の錢を以て京師に供せば何ぞ錢無きを患えんと。公曰く、東南は錢荒にして粒米狼戻たり。今米を糴わずして錢を漕す。其の有餘を棄てて其の無き所を取る。農末皆病まんと。侍講吳申起ちて曰く、光の言は至論なりと。
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『宋名臣言行録』後集巻七・司馬光三司使は天下の財を掌る。不才にして黜くるは可なり。兩府をして其の事を侵さしむ可からず。今制置三司條例司を爲すは何ぞや。宰相は道を以て人主を佐く。尚お安んぞ例を用いん。苟くも例を用うれば則ち胥吏足れり。今看詳中書條例司を爲すは何ぞや。惠卿對うる能わず。則ち公を詆りて曰く、光は侍從と爲る。何ぞ言わざる。言いて從われずんば何ぞ去らざるやと。公作ちて答えて曰く、是れ臣の罪なりと。上曰く、相い與に是非を論ずるのみ。何ぞ是に至らんやと。