宋名臣言行録 / 前集巻十・种放
放别業在終南山後生從之學者甚衆性嗜酒躬耕種秫以自養所居有林泉之勝殊為幽絶真宗聞之遣中使携畫工圖之開龍圖閣召輔臣觀焉上嘆賞之其後甘棠魏野郊居有幽趣帝亦使人圖之故野有詩曰幽居帝畫㸔
新字:放別業在終南山後生従之学者甚衆性嗜酒躬耕種秫以自養所居有林泉之勝殊為幽絶真宗聞之遣中使携画工図之開竜図閣召輔臣観焉上嘆賞之其後甘棠魏野郊居有幽趣帝亦使人図之故野有詩曰幽居帝画㸔
書き下し
放の别業は終南山に在り。後生の之に從いて學ぶ者甚だ衆し。性は酒を嗜む。躬ら耕して秫を種えて以て自ら養う。居る所に林泉の勝有り。殊に幽絶と爲す。真宗之を聞き、中使を遣わし畫工を携えて之を圖せしむ。龍圖閣を開きて輔臣を召して觀しむ。上、之を嘆賞す。其の後、甘棠の魏野の郊居に幽趣有り。帝も亦た人をして之を圖せしむ。故に野に詩有りて曰く、幽居、帝畫きて㸔ると。
現代語訳
种放の別荘は終南山にあった。若い者で従って学ぶ者がたいそう多かった。性質として酒を好んだ。自分で耕して黍を植えて暮らしを立てた。住まいには林と泉の勝景があった。とりわけ奥深く隔たっていた。真宗はそれを聞いて、宦官の使者に絵師を連れて行かせて描かせた。龍図閣を開いて輔佐の臣たちを召して見せた。帝はそれを嘆賞した。その後、甘棠の魏野の郊外の住まいに奥ゆかしい趣があった。帝もまた人をやってそれを描かせた。だから魏野に詩があってこう言う。「幽居は、帝が描かせて御覧になる」。
解説
隠者の住まいを、皇帝が絵に描かせた条です。**宦官の使者に絵師を連れて行かせて描かせ、龍図閣を開いて輔佐の臣たちに見せた。**行けないものを、絵にして持ってこさせている。そして同じことをもう一人にもしました。魏野の詩の一行が、少し可笑しい。**幽居は、帝が描かせて御覧になる。**人里を離れた住まいが、宮中で回覧されている。
この章句が説くこと
躬ら耕して秫を種えて以て自ら養う居る所に林泉の勝有り中使を遣わし画工を携えて之を図せしむ竜図閣を開きて輔臣を召して観しむ幽居帝画きて㸔る隠居絵憧れ
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