宋名臣言行録 / 前集巻一・曹彬
彬攻金陵垂克忽稱疾不視事諸將皆來問疾彬曰余之病非藥石所愈唯須諸公共發誠心自誓以克城之日不妄殺一人則自愈矣諸將許諾共焚香為誓明日稍愈及克金陵城中皆安堵如故曹翰克江州忿其乆不下屠戮無遺彬之子孫貴盛至今不絶翰卒未三十年子孫有乞匄于海上者矣
新字:彬攻金陵垂克忽称疾不視事諸将皆来問疾彬曰余之病非薬石所愈唯須諸公共発誠心自誓以克城之日不妄殺一人則自愈矣諸将許諾共焚香為誓明日稍愈及克金陵城中皆安堵如故曹翰克江州忿其乆不下屠戮無遺彬之子孫貴盛至今不絶翰卒未三十年子孫有乞匄于海上者矣
書き下し
彬金陵を攻め、克つに垂とす。忽ち疾と稱して事を視ず。諸將皆な來りて疾を問う。彬曰く、余の病は藥石の愈やす所に非ず。唯だ諸公共に誠心を發し、自ら誓いて城を克つの日を以て妄りに一人をも殺さざるを須つ。則ち自ら愈えんと。諸將許諾し、共に香を焚きて誓いを為す。明日稍く愈ゆ。金陵に克つに及び、城中皆な安堵すること故の如し。曹翰江州に克つや、其の乆しく下らざるを忿り、屠戮して遺す無し。彬の子孫貴盛にして今に至るまで絶えず。翰卒して未だ三十年ならざるに、子孫の海上に乞匄する者有り。
現代語訳
曹彬が金陵を攻め、まさに落とそうとしていたとき、突然に病と称して政務を執らなくなった。諸将はみな見舞いに来た。曹彬は言った。「私の病は薬で治るものではない。ただ諸公がそろって誠の心を起こし、城を落とす日にみだりに一人も殺さないと自ら誓ってくれれば、それで自然に治る」。諸将は承知し、みなで香を焚いて誓いを立てた。翌日、病は少し良くなった。金陵が落ちたとき、城中はもとどおり安らかであった。曹翰が江州を落としたときは、長く降らなかったことに腹を立て、皆殺しにして残さなかった。曹彬の子孫は栄えて今に至るまで絶えていない。曹翰は死んで三十年もたたないうちに、子孫に海辺で物乞いをする者が出た。
解説
落城の直前に、仮病で全軍を止めた条です。**薬では治らない、諸公が一人も殺さないと誓ってくれれば治る**、と。命令ではなく誓いにしたところが要でした。命令は破れますが、香を焚いて自ら立てた誓いはそうはいきません。翌日「少し良くなった」というくだりも芝居です。編者は最後に曹翰を並べました。皆殺しにした将の子孫は三十年で物乞いになり、殺さなかった将の子孫は今も栄えている、と。
この章句が説くこと
余の病は薬石の愈やす所に非ず城を克つの日を以て妄りに一人をも殺さざるを須つ諸将許諾し共に香を焚きて誓いを為す誓約規律合意
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