宋名臣言行録 / 後集巻三・張方平
延和殿賜坐問祖宗禦戎之策孰長公曰太祖不勤逺畧如夏州李彛興靈武馮暉河西折御卿皆因其酋豪許以世襲故邉圉無事董遵誨捍環州郭進守西山李漢超保闗南皆十餘年優其禄賜寛其文法而少遣兵諸將財力豊而威令行間諜精而審吏士用命賊所入輒先知併兵禦之戰無不克故以十五萬人而獲百萬之用終太祖之世邉鄙不聳天下安樂
新字:延和殿賜坐問祖宗禦戎之策孰長公曰太祖不勤遠畧如夏州李彛興霊武馮暉河西折御卿皆因其酋豪許以世襲故邉圉無事董遵誨捍環州郭進守西山李漢超保関南皆十余年優其禄賜寛其文法而少遣兵諸将財力豊而威令行間諜精而審吏士用命賊所入輒先知併兵禦之戦無不克故以十五万人而獲百万之用終太祖之世邉鄙不聳天下安楽
書き下し
延和殿に坐を賜い、祖宗の戎を禦ぐの策は孰れか長ずるかを問う。公曰く、太祖は遠略に勤めず。夏州の李彝興・靈武の馮暉・河西の折御卿の如きは、皆其の酋豪に因りて許すに世襲を以てす。故に邊圉に事無し。董遵誨は環州を捍ぎ、郭進は西山を守り、李漢超は關南を保つ。皆十餘年。其の禄賜を優にし、其の文法を寬にして、而して少しく兵を遣る。諸將財力豐かにして威令行われ、間諜精しくして審らかに、吏士命を用う。賊の入る所は輒ち先ず知り、兵を併せて之を禦ぐ。戰えば克たざる無し。故に十五萬人を以て百萬の用を獲たり。太祖の世を終うるまで、邊鄙聳えず、天下安樂なり。
現代語訳
延和殿で席を与えられ、祖宗が異民族を防いだ策のどれがすぐれているかを問われた。張方平は言った。「太祖は遠くを攻める計に力を入れませんでした。夏州の李彝興、霊武の馮暉、河西の折御卿のような者には、みなその部族の長であることに応じて世襲を許しました。だから国境に事がありませんでした。董遵誨は環州を防ぎ、郭進は西山を守り、李漢超は関南を保ちました。いずれも十余年です。その俸禄と下賜を手厚くし、規則の適用をゆるやかにして、そのうえで送る兵は少なくしました。諸将は財力が豊かで命令が行き渡り、諜報は精密で確かで、役人も兵も命令に従いました。敵が入ってくる先はそのつど先に分かり、兵を集めてこれを防ぎました。戦えば勝たないことがありません。だから十五万人をもって百万人分の働きを得たのです。太祖の御代の終わりまで、辺境は騒がず、天下は安らかでした」。
解説
この章句が説くこと
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