宋名臣言行録 / 前集巻四・冦凖
公貶雷州時丁謂與馮拯在中書丁當秉筆初欲貶崖州而丁忽自疑語馮曰崖州再涉鯨波如何馮唯唯而已丁乃徐擬雷州丁之貶也馮遂擬崖州當時好事者相語曰若遇雷州冦司戸人生何處不相逢比丁之南也冦復移道州冦聞丁當来遣人以蒸羊逆于境上而收其僮僕杜門不放出聞者多以為得體
新字:公貶雷州時丁謂与馮拯在中書丁当秉筆初欲貶崖州而丁忽自疑語馮曰崖州再渉鯨波如何馮唯唯而已丁乃徐擬雷州丁之貶也馮遂擬崖州当時好事者相語曰若遇雷州寇司戸人生何処不相逢比丁之南也寇復移道州寇聞丁当来遣人以蒸羊逆于境上而収其僮僕杜門不放出聞者多以為得体
書き下し
公、雷州に貶せらるる時、丁謂と馮拯と中書に在り。丁、當に筆を秉るべし。初め崖州に貶せんと欲す。而して丁忽ち自ら疑い、馮に語りて曰く、崖州は再び鯨波を涉る。如何と。馮、唯唯たるのみ。丁乃ち徐ろに雷州に擬す。丁の貶せらるるや、馮遂に崖州に擬す。當時の好事者、相い語りて曰く、若し雷州の冦司戸に遇わば、人生何れの處にか相い逢わざらんと。丁の南するに比び、冦復た道州に移る。冦、丁の當に来たるべきを聞き、人を遣わして蒸羊を以て境上に逆え、而して其の僮僕を收め、門を杜ざして放ち出ださず。聞く者多く以て體を得たりと為す。
現代語訳
公が雷州に流されたとき、丁謂と馮拯が中書省にいた。丁謂が筆を執る番であった。はじめは崖州に落とそうとした。ところが丁謂はふと自分で疑って、馮拯に言った。「崖州はもう一度、鯨の波を渡ることになる。どうだろうか」。馮拯はただ頷くだけであった。丁謂はそこでゆっくりと雷州に決めた。丁謂が落とされるときには、馮拯はそのまま崖州に決めた。当時の物好きが言い合った。「もし雷州の寇司戸にお会いになったら——人の一生、どこで顔を合わせるか分からないものだ」。丁謂が南へ下るとき、寇準はまた道州へ移されていた。寇準は丁謂が通ると聞いて、人をやって蒸した羊を国境まで届けさせ、そのうえで自分の家僕たちを一室に集め、門を閉ざして外へ出さなかった。それを聞いた者の多くは、よく心得たことだと評した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』襄公二十八年 淫人の富は殃遂に來奔す。車を季武子に獻ず。美澤にして以て鑑とすべし。展莊叔之を見て曰く、「車甚だ澤なれば、人必ず瘁(つか)る。宜なり其の亡ぶるや」と。叔孫穆子、慶封に食せしむ。慶封、氾祭す。穆子說ばず、工をして之が為に茅鴟を誦せしむ。亦た知らず。既にして齊人來りて讓む。吳に奔る。吳の句餘、之に朱方を予ふ。其の族を聚めて之に居る。其の舊よりも富む。子服惠伯、叔孫に謂ひて曰く、「天殆ど淫人を富ますか。慶封又富めり」と。穆子曰く、「善人の富むは之を賞と謂ひ、淫人の富むは之を殃と謂ふ。天其れ之に殃せんとするなり。其れ將に聚めて旃(これ)を殲さんとす」と。癸巳、天王崩ず。未だ赴を來さず、亦た書せず。禮なり。崔氏の亂に、群公子を喪ふ。故に鉏は魯に在り、叔孫還は燕に在り、賈は句瀆の丘に在り。慶氏亡ぶに及び、皆之を召し、其の器用を具へて、其の邑を反す。晏子に邶殿、其の鄙六十を與ふ。受けず。子尾曰く、「富は人の欲する所なり。何ぞ獨り欲せざる」と。
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『春秋左氏伝』荘公十年 乗丘の戦い夏六月、齊の師・宋の師郎に次す。公子偃曰く、「宋の師整はず、敗るべきなり。宋敗るれば、齊必ず還らん。請ふ之を擊たん」と。公許さず。雩門より竊かに出で、皋比を蒙りて先づ之を犯す。公之に從ふ。大いに宋の師を乘丘に敗る。齊の師乃ち還る。蔡の哀侯陳に娶る。息侯も亦た焉に娶る。息媯將に歸がんとし、蔡を過ぐ。蔡侯曰く、「吾が姨なり」と。止めて之を見る。賓せず。息侯之を聞きて、怒り、楚の文王に謂はしめて曰く、「我を伐て。吾救ひを蔡に求めん。而して之を伐て」と。楚子之に從ふ。秋九月、楚蔡の師を莘に敗り、蔡侯獻舞を以て歸る。齊侯の出づるや、譚を過ぐ。譚禮せず。其の入るに及びて、諸侯皆賀す。譚又至らず。冬、齊の師譚を滅ぼす。譚禮無ければなり。譚子莒に奔る。同盟の故なり。
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『春秋左氏伝』哀公二十一年・二十二年 越、呉を滅ぼす二十一年夏五月、越人始めて來る。秋八月、公、齊侯・邾子と顧に盟ふ。齊人、稽首を責め、因りて之を歌ひて曰く、「魯人の皋、數年覺らず、我をして高く蹈ましむ。唯だ其の儒書、以て二國の憂と為る」と。是の行や、公、先づ陽穀に至る。齊の閭丘息曰く、「君、辱くも玉趾を舉げて、以て寡君の軍に在り。群臣將に傳遽して以て寡君に告げんとす。其の復るに比ぶ、君乃ち勤むる無からんや。僕人の未だ次せざるが為に、請ふ、館を舟道に除せん」と。辭して曰く、「敢へて僕人を勤めしめんや」と。二十二年夏四月、邾の隱公、齊より越に奔る。曰く、「吳、無道を為し、父を執へて子を立つ」と。越人之を歸す。大子革、越に奔る。冬十一月丁卯、越、吳を滅ぼす。吳王をして甬東に居らしめんと請ふ。辭して曰く、「孤老いたり。焉んぞ能く君に事へん」と。乃ち縊る。越人以て歸る。
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『正法眼蔵随聞記』巻一或時奘問て云く、如何是不味因果底道理、師云く、不動因果なり、云く、なんとしてか脫落せん、師云く、因果歴然なり、云くかくの如くならば因、果を引起すや、果、因を引起すや、師云く、総てかくの如くならばかの南泉の猫児を斬るがごとき、大衆既に道ひ得ず、便ち猫児を斬却しおはりぬ、後に趙州頭に草鞋を戴きて出たりし、亦一段の儀式なり、
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