宋名臣言行録 / 後集巻二・富弼
熈寧中公罷相鎮亳常深居養疾罕出視事幕府事湏禀命者常以狀白公公批數字於紙尾莫不盡其理或事有難决幕府憂疑不能措手者相與求見公公以一二言裁處徐語他事幕府曉然率常失其所疑者退而歎服以為不可及公早使強敵以片言折狂謀尊中國及揔大政視天下事若不足為者矧退處一郡乎
新字:熈寧中公罷相鎮亳常深居養疾罕出視事幕府事須禀命者常以状白公公批数字於紙尾莫不尽其理或事有難決幕府憂疑不能措手者相与求見公公以一二言裁処徐語他事幕府暁然率常失其所疑者退而嘆服以為不可及公早使強敵以片言折狂謀尊中国及揔大政視天下事若不足為者矧退処一郡乎
書き下し
熙寧中、公相を罷めて亳を鎮す。常に深居して疾を養い、罕にしか出でて事を視ず。幕府の事に命を稟くるを須つ者は、常に狀を以て公に白す。公數字を紙尾に批するに、其の理を盡くさざる莫し。或いは事に決し難く、幕府憂疑して手を措く能わざる者有り、相い與に公に見えんことを求む。公一二言を以て裁處し、徐ろに他事を語る。幕府曉然として、率ね常に其の疑う所を失う。退きて歎服し、以て及ぶ可からずと爲す。公は早く強敵に使いし、片言を以て狂謀を折り中國を尊くす。大政を總ぶるに及びては、天下の事を視ること爲すに足らざるが若し。矧んや一郡に退き處るをや。
現代語訳
熙寧年間、富弼は宰相を辞めて亳州に鎮した。ふだんは奥に籠もって病を養い、めったに出て執務しなかった。幕府の案件で指示を仰ぐ必要のあるものは、いつも書面にして富弼に上げた。富弼が紙の端に数字を書き付けると、その筋道を尽くしていないものはなかった。あるいは決めがたい事があって、幕府が憂え疑い手を着けられないものがあると、みなで富弼に面会を求めた。富弼は一言二言で裁いて処理し、そのままゆっくり別の話をした。幕府はすっきりと分かり、たいていいつのまにか疑いが消えていた。退がってから感服し、及びもつかないと考えた。富弼は早くに強敵に使いして、わずかな言葉で狂った謀を折り、中国の地位を高くした。大政を統べるようになってからは、天下の事を見ること、大したことでもないかのようであった。まして一郡に退いていることなど。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻二・富弼公相と爲り、格法を守り故事を行い、而して附するに公議を以てし、其の間に心無し。故に百官職に任じ、天下無事なり。所在の民力困弊し、稅役均しからざるを以て、使いを遣わし道を分かちて相い視、裁して減ず。之を寬恤民力と謂う。又た茶禁を弛めて以て商賈を通じ、刑獄を省く。天下之に便とす。
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『宋名臣言行録』後集巻二・富弼故事、宰相の使相を以て致仕する者は全俸を給す。公司徒使相を以て致仕し洛に居る。三公の俸一百二十千よりの外は皆受けず。公心を清くして道を學び、獨り還政堂に居る。毎に早く作きて中門の鑰を放ち、入りて家廟に瞻禮す。夫人に對すること賓客の如し。子孫は冠帶せざれば見えず(麈史に云う、富鄭公家を治むること嚴整、子舍女僕咸な互いに往來するを得ず、閨門肅たること此くの如しと)。平時は客を謝す。文潞公留守爲る時は節ミ往來す。公素より潞公を喜ぶ。昔同朝のとき、更に其の母を拜し、毎に其の早く退くを勸む。
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『宋名臣言行録』後集巻二・富弼安石參政となり、法を改め財を理むるを議す。公の意と合わず。公病と稱して去るを求む。章數十上る。上、誰か卿に代わる可きを問う。公彦博を薦む。上黙然たること良や久しくして曰く、安石は何如と。公も亦た黙然たり。八月、使相を以て亳州を判す。
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『宋名臣言行録』後集巻二・富弼公、魏公と同じく中書に在り。公の母老いたり。一日、語故事に及ぶ。宰相に起復して事を視る者有りと。魏公曰く、此れ朝廷の盛事に非ずと。已にして公母の憂に居る。朝廷屢ミ詔して之を起こす。章を上りて三たび辭す。貼黄に言う、臣中書に在るとき嘗て韓と之を言えり。決して當に起こすべからずと。魏公嘆じて曰く、吾但だ實を以て之を言うのみ。以て怨みと爲すを料らざりきと。此れより二人稍稍隙有り。
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『宋名臣言行録』後集巻二・富弼邵伯溫曰く、公虜に使いして功甚だ偉なるも、而れども毎に自ら以て功と爲さず。青州を知りて飢民四十餘萬を活かすに至りては、則ち毎に自ら之を言いて曰く、中書を作ること二十四考に過ぐと。
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『宋名臣言行録』後集巻二・富弼月を逾えて復た以て公に命ず。時に元昊の使い辭す。上、公の樞密院の班に綴るを俟ちて乃ち坐す。且つ宰相章得象をして公に諭さしめて曰く、此れ朝廷の特命なり。北に使いするを以ての故に非ざるなりと。公已むを得ず乃ち受く。