宋名臣言行録 / 後集巻五・唐介
治平元年召為侍御史中丞英宗面諭曰卿在先朝有直聲今出自朕選非由左右言也公言先帝在位四十餘年天下安樂惟仁治而已願恢聖度廣恩徳則為善繼四海䝉福矣
新字:治平元年召為侍御史中丞英宗面諭曰卿在先朝有直声今出自朕選非由左右言也公言先帝在位四十余年天下安楽惟仁治而已願恢聖度広恩徳則為善継四海䝉福矣
書き下し
治平元年、召されて侍御史中丞と爲る。英宗面ミ諭して曰く、卿は先朝に直聲有り。今朕の選より出づ。左右の言に由るに非ずと。公言う、先帝在位四十餘年、天下安樂なり。惟だ仁治のみ。願わくは聖度を恢め恩德を廣めば、則ち善繼を爲して四海福を蒙らんと。
現代語訳
治平元年、召されて侍御史中丞となった。英宗は面と向かって諭して言った。「卿は先の御代に率直な評判があった。いまは朕の選による任命である。側近の言葉によるのではない」。唐介は言った。「先帝は位にあること四十余年、天下は安らかで楽しかった。ただ仁による治めだけです。どうか聖なる度量を広げ、恩と徳を広くされるなら、それが善き継承となり、四海が福をこうむります」。
解説
新しい天子が、自分の選であることを強調しました。**いまは朕の選による任命である。側近の言葉によるのではない。**唐介の返しは、自分の話をしていません。先代の治世を一語でまとめました。**先帝は位にあること四十余年、天下は安らかで楽しかった。ただ仁による治めだけです。**四十年を「ただ仁だけ」と要約している。そして継承の定義を渡しました。**聖なる度量を広げ、恩と徳を広くされるなら、それが善き継承となる。**
この章句が説くこと
卿は先朝に直声有り今朕の選より出づ先帝在位四十余年天下安楽なり惟だ仁治のみ願わくは聖度を恢め恩徳を広めば則ち善継を為して四海福を蒙らん継承仁
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