宋名臣言行録 / 後集巻八・吕公著
公侍經筵時仁宗春秋髙公於經傳同異訓詁得失皆粗陳其略至於治亂安危之要聞之足以戒者乃為上反覆申陳之仁宗嘗詔講官凡經傳所載逆亂事皆直言毋諱公因進講言弑逆之事臣子所不忍言而仲尼書之春秋者所以深戒後世人君欲其防㣲杜漸居安慮危使君臣父子之道素明長㓜嫡庶之分早定則亂臣賊子無所萌其姦心故易曰履霜堅氷至由辯之不早辯也
新字:公侍経筵時仁宗春秋高公於経伝同異訓詁得失皆粗陳其略至於治乱安危之要聞之足以戒者乃為上反覆申陳之仁宗嘗詔講官凡経伝所載逆乱事皆直言毋諱公因進講言弑逆之事臣子所不忍言而仲尼書之春秋者所以深戒後世人君欲其防㣲杜漸居安慮危使君臣父子之道素明長幼嫡庶之分早定則乱臣賊子無所萌其姦心故易曰履霜堅氷至由弁之不早弁也
書き下し
公經筵に侍せし時、仁宗春秋髙し。公經傳の同異、訓詁の得失に於いては皆粗ミ其の略を陳ぶ。治亂安危の要にして之を聞けば以て戒むるに足る者に至りては、乃ち上の爲に之を反覆申陳す。仁宗嘗て講官に詔す、凡そ經傳に載する所の逆亂の事は皆直言して諱む毋かれと。公因りて進講して言う、弑逆の事は臣子の忍びて言わざる所。而して仲尼之を春秋に書す所以は、深く後世の人君を戒め、其の微を防ぎ漸を杜ぎ、安きに居て危うきを慮り、君臣父子の道を素より明らかにし、長幼嫡庶の分を早く定めしめんと欲するなり。則ち亂臣賊子其の姦心を萌す所無し。故に易に曰く、霜を履みて堅氷至ると。辯ずるの早く辯ぜざるに由るなりと。
現代語訳
呂公著が経筵に侍したとき、仁宗は高齢であった。公は経典と伝の異同、字義解釈の当否については、みなおおまかにその要点を述べるにとどめた。治乱と安危の要点で、それを聞けば戒めとするに足るものについては、主上のために繰り返し詳しく述べた。仁宗はかつて講官に詔した。「およそ経伝に載っている逆と乱の事は、みな率直に言って憚るな」。公はそこで進講して言った。「主君を弑する事は、臣下や子として口にするに忍びないところです。それでいて孔子がこれを『春秋』に書き記した理由は、深く後世の君主を戒め、その微かなうちに防ぎ、兆しのうちにふさぎ、安らかな時にあって危うきを慮り、君臣父子の道をふだんから明らかにし、長幼と嫡庶の分をあらかじめ定めさせようとしたからです。そうすれば乱臣賊子は、その邪な心を芽生えさせる場所がありません。だから『易』に言います、『霜を踏んで堅い氷が至る』と。見分けるべきときに早く見分けなかったことによるのです」。
解説
この章句が説くこと
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『宋名臣言行録』後集巻八・吕公著仁宗の末より率ね二月を以て經筵を開き、重午に至りて罷め、八月に復た開き、冬至に至りて罷む。是の歳詔して九月五日を以て開き、重陽に至りて罷む。公奏す、願わくは陛下日ミ邇英に御して以て先帝の故事に循えと。詔して即ち之に從う。後論語を講じて將に畢わらんとす。公尚書の二帝三王の道を備え尤も治術に切なるを以て、論語を進講して畢わるの日に尚書を進講せんことを乞う。之に從う。
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『宋名臣言行録』後集巻八・吕公著夏秋に淫□、京師に地震あり。公言う、人に君たる者は偏聽獨任の弊を去りて先入の語を主とせざれば、則ち邪説の亂す所と爲らず。顔淵邦を爲むるを問う。孔子は佞人を遠ざくるを以て戒めと爲す。蓋し佞人は惟だ君に合わざるを恐る。則ち其の勢い親しみ易し。正人は惟だ義に合わざるを恐る。則ち其の勢い疏んじ易し。惟だ先ず王を格し其の事を正す。蓋し未だ事正しくして世治まらざる者有らざるなり。惟だ陛下勉めて行い勉めて之を終えよと。
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『宋名臣言行録』後集巻八・吕公著神宗初めて經筵に御す。公尚書を進講して天乃ち王に勇智を錫うに至る。上曰く、何を以て獨り勇智を言うやと。公曰く、仲虺方に成湯の能く夏を伐ちて民を救うを稱う。故に勇智を以て之を言う。然れども聖人の德は當に易の所謂聰明睿智、神武にして殺さざる者の如くにして、然る後に以て善を盡くす可しと。時に上方に春秋に富む。故に公勇を好み武を黷すを以て戒めと爲す。
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『宋名臣言行録』後集巻八・吕公著公毎に進講するに多く經義を傳えて以て規を進む。會ミ論語を講じて人知らずして慍らず亦た君子ならずやに至る。公言う、下に在りて上に知られざる者は多し。然れども上に在る者も亦た未だ下に知られざる有るなり。故に古の人君は政令に未だ孚せざる所有り、人心に或いは未だ服せざる有れば、則ち身に反りて德を修めて慍怒を以て之に加えず。舜の文德を誕敷し、文王の皇めて自ら德を敬しむが如き是れなりと。上公の意の深切なるを知り、毎に容を改め鞠躬すること車に在るの式の如し。
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『宋名臣言行録』後集巻八・吕公著上邇英に論語の講讀畢わるを以て、執政・講讀官・左右史に御筵を資善堂に賜う。内より御書の唐人の詩を出だし、在坐に分ち賜う。翌日公上奏して曰く、臣伏して念うに、陛下の睿哲の性は天縱より出で、復た内に慈訓を稟け日に新たに典學す。誠に堯舜三代を以て法と爲さば則ち四海勞せずして治まらん。將來論語の帙を終え尚書を進講せん。二書は皆聖人の格言、君と爲るの要道なり。
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『宋名臣言行録』前集巻六・吕夷簡公、主上の方に春秋に富むを以て、宜しく之を典學に導くべしとす。孫奭等を擢きて講席に居らしめ、經義を以て輔導す。後、又た崇政説書・天章閣侍講の職を増置し、以て聞見を廣くす。