宋名臣言行録 / 前集巻五・李迪
迪貶衡州團練副使嵗餘除祕書監知舒州章獻上仙迪時以尚書右丞知河陽召復為相迪自以受不世之遇盡心輔佐知無不為吕夷簡忌之潛短之於上嵗餘罷出知某州迪謂人曰迪不自量恃聖主之知自以為宋璟而以吕為姚崇不知其待我乃如是也
新字:迪貶衡州団練副使歳余除秘書監知舒州章献上仙迪時以尚書右丞知河陽召復為相迪自以受不世之遇尽心輔佐知無不為呂夷簡忌之潜短之於上歳余罷出知某州迪謂人曰迪不自量恃聖主之知自以為宋璟而以呂為姚崇不知其待我乃如是也
書き下し
迪、衡州團練副使に貶せらる。歳餘、祕書監・知舒州に除せらる。章獻上仙す。迪、時に尚書右丞を以て河陽を知る。召されて復た相と為る。迪、自ら不世の遇を受くるを以て、心を盡くして輔佐す。知りて為さざる無し。吕夷簡之を忌み、潛かに之を上に短ず。歳餘にして罷めて出でて某州を知る。迪、人に謂いて曰く、迪、自ら量らず、聖主の知を恃み、自ら以て宋璟と為して、吕を以て姚崇と為す。其の我を待つこと乃ち是くの如きを知らざりしなりと。
現代語訳
李迪は衡州団練副使に落とされた。一年あまりして、秘書監・舒州の長官に任じられた。章献太后が崩じた。李迪は当時、尚書右丞として河陽の長官であった。召されてふたたび宰相となった。李迪は自分がまたとない厚遇を受けたと思い、心を尽くして輔佐した。知っていることで行わないことはなかった。呂夷簡はそれを忌み、ひそかに帝の前で短所を並べた。一年あまりで罷免されて某州の長官として出された。李迪は人に言った。「私は自分の力量をわきまえず、聖主の知遇を頼みにして、自分を宋璟に、呂夷簡を姚崇になぞらえていた。あの人の私に対する扱いが、こういうものだとは知らなかったのだ」。
解説
二度目の宰相を、一年あまりで終えた条です。悔いの言い方が具体的でした。**自分を宋璟に、呂夷簡を姚崇になぞらえていた。**唐の名宰相の二人組です。互いに気性は違っても、国のために組めた相手として並べていました。**あの人の私に対する扱いが、こういうものだとは知らなかった。**相手も同じ絵を見ているだろう、と思い込んでいた。組む相手の見立てを間違えた、という記録です。
この章句が説くこと
自ら以て宋璟と為して呂を以て姚崇と為す其の我を待つこと乃ち是くの如きを知らざりしなり呂夷簡之を忌み潜かに之を上に短ず思い込み相方失脚
関連する章句
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『宋名臣言行録』前集巻五・李迪謂、因りて直ちに中書に入り、同列に見え、堂吏を召して之に諭し、文書を索めて之を閲す。来日、諸公と同に事を奏す。上も亦た語無し。衆退く。獨り留まる。出づるに及び、道、學士院を過ぐ。院吏に問う、今日、學士は誰か直せると。曰く、劉學士筠なりと。謂、筠を呼び出だし、口ずから聖㫖を傳え、謂をして復た相たらしむ、麻を草す可しと令す。筠曰く、相を命ずるは必ず面のあたり㫖を得。果たして爾らば、今日必ず宣召有らん。麻は乃ち為す可きなりと。謂、之を如何ともする無し。他日、再び事を奏す。復た少しく留まる。退きて學士院を過ぐ。復た問う、誰か直せると。曰く、錢惟演なりと。謂、復た聖㫖を以て之に語る。惟演即ち命に從う。既に復た相たり。乃ち公及び其の黨を逐う。正人、之が為に一空す。將に公の責詞を草せんとす。時に宋宣獻、知制誥として當に直すべし。其の罪名を請う。謂曰く、春秋に將無く、漢法に不道なるは、皆な其の事なりと。宋、已むを得ずして之に從う。謂の朱崖に貶せらるるに及び、宋、猶お詞命を掌る。即ち之が為に詞して曰く、無將の戒めは深く魯經に著れ、不道の誅は漢法に逃れ難しと。天下之を快とす。
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