宋名臣言行録 / 前集巻三・陳恕
恕領春官以王沂公為舉首嵗中拔劉子儀于常選自云吾得二俊名世才也是不愧于知人
新字:恕領春官以王沂公為舉首歳中抜劉子儀于常選自云吾得二俊名世才也是不愧于知人
書き下し
恕、春官を領し、王沂公を以て舉首と為す。歳中、劉子儀を常選より拔く。自ら云う、吾れ二俊を得たり。名世の才なり。是れ知人に愧じずと。
現代語訳
陳恕が礼部を統べて科挙を掌り、王曽を首席とした。その年のうちに、劉筠を通常の選から抜き出した。自らこう言った。「私は二人の俊才を得た。世に名を残す才だ。これで人を見る目に恥じることはない」。
解説
三十六字で、自分の人事を自分で採点した条です。**私は二人の俊才を得た、これで人を見る目に恥じることはない。**謙遜していません。首席にした王曽と、通常の選から抜いた劉筠。二人とも後に名を残しました。自賛が残っているのはそれが当たったからでもありますが、この書は外れた見立ても残します。当たり外れより、言い切ったことのほうを記録している書です。
この章句が説くこと
吾れ二俊を得たり名世の才なり是れ知人に愧じず王沂公を以て舉首と為し劉子儀を常選より抜く人物眼選抜自負
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