宋名臣言行録 / 後集巻十一・蘓頌
天下以為當然者謂之公論公論葢非强名乃天道也此道未嘗廢頋所在如何耳如唐虞三代與吾祖宗之時公論在上君相主之賢哲聚於朝不肖沉於下海内入於陶冶一歸於正如晚周及東漢之餘上之人不能主公論所用非其人於是乎清議在下而士知所尊畏恥為非義登其門者如龍從其死者如歸致黨錮之禍起視漢室為何等時也
新字:天下以為当然者謂之公論公論葢非强名乃天道也此道未嘗廃頋所在如何耳如唐虞三代与吾祖宗之時公論在上君相主之賢哲聚於朝不肖沈於下海内入於陶冶一帰於正如晩周及東漢之余上之人不能主公論所用非其人於是乎清議在下而士知所尊畏恥為非義登其門者如竜従其死者如帰致党錮之禍起視漢室為何等時也
書き下し
天下當然と以爲す者、之を公論と謂う。公論は蓋し強いて名づくるに非ず、乃ち天道なり。此の道未だ嘗て廢せず、顧だ在る所如何のみ。唐虞三代と吾が祖宗の時の如きは、公論上に在りて君相之を主る。賢哲朝に聚まり、不肖下に沉む。海内陶冶に入り、一に正に歸す。晚周及び東漢の餘の如きは、上の人公論を主る能わず、用うる所其の人に非ず。是に於いてか清議下に在り。而して士は尊び畏るる所を知り、非義を爲すを恥ず。其の門に登る者は龍の如く、其の死に從う者は歸するが如し。黨錮の禍を致して起こる。漢室を視るに何等の時と爲すや。
現代語訳
天下の誰もが当然と考えるもの、それを公論という。公論とは、無理につけた名前ではなく、天の道である。この道はかつて廃れたことがない。ただ、それがどこにあるかが違うだけだ。堯舜と夏殷周の三代、そしてわが宋の祖宗の時代のように、公論が上にあって君主と宰相がこれを主宰する場合は、賢者が朝廷に集まり、愚かな者は下に沈む。天下が陶冶のなかに入り、こぞって正しさに帰する。だが周の末や後漢の末のように、上に立つ者が公論を主宰できず、用いる人がふさわしくない場合は、そこで清らかな議論が下におりる。すると士は尊び畏れるべきものを知り、不義を行うことを恥じる。その門に登る者は龍のように集まり、その人の死に殉ずる者は家に帰るように従う。そして党錮の禍が起こった。漢の王室は、いったいどのような時代だったと言えばよいのか。
解説
この章句が説くこと
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『宋名臣言行録』後集巻十一・蘓頌頃時、王安石李定を薦む。陳襄之を彈じて未だ行われざる間に、太子中允に擢づ。宋次道(敏求)辭頭を封還す。翌日職を辭して之を罷む。又た次いで李大臨・蘇子容に下す。相い繼いで封還す。更めて奏して復た下し、七たび入るに至る。子容と大臨と俱に職を落とされて朝請を奉ず。名譽赫然たり。此れ乃ち祖宗の德澤百餘年、風俗を養成し、公論の屈す可からざること此くの如し。齊の太史崔杼其の君を弑すと書し、三人を殺されて筆を執ること初めの如くなる者と何ぞ異ならん。其の後、官を攝りて起居注を修むるに、章衡之を行う。賢不肖此に於いて見る可し。之を要するに、公論は一日も廢す可からず。然れども上に在れば則ち治まり、下に在れば則ち亂る。以て世を卜す可きなり。
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『宋名臣言行録』後集巻五・唐介至和の後、仁宗朝に臨みて淵默たり。公言う、君臣は天地の如し。交泰を以て治と爲す。願わくは時に羣下を延訪し、德音を發して政事を可否し、以て天下を幸せしめよと。又た言う、賞罰は貴賤を以て輕重す可からず。孫沔・呂溱の侈縱の如きは宜しく深く責むべし。必ず行わば則ち衆信ぜんと。宮禁の恩澤を干丐し、其の命の中書に由らざるを論ず。此れ古の所謂斜封なり。盛朝の宜しく有るべき所に非ずと。後宮の冗數を裁放し、祈禳の經ならざる者を罷めんことを請う。又た言う、士節立たず。願わくは大臣に委ねて敦厚忠朴の士を進め、稍ミ聚斂文法の吏を抑えて以て刻薄浮競の風を消せと。
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『宋名臣言行録』後集巻十二・劉安世温公言う、安世は平生只だ是れ一箇の誠の字、更に撲破せず。誠は是れ天道、思誠は是れ人道。天人に兩箇の道理無し、と。因りて左右の手を舉げ、之を顧みて笑いて曰く、只だ這の軀殻有るが爲の故に、思を假りて以て之に通ずるのみ。其の功を成すに及びては一なり、と。安世自ら、十五歲より以後、便ち這箇の道理有るを知る。也た曽て事事に力を着く。畢竟是ならず。只だ箇の誠の字有れば、縱横妙用、通ぜざる處無し。此を以て門を杜ざして獨立するも、其の樂しみ窮まり無し。恁ぞ怎生しても也た安世を動かし得ず、と。
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『宋名臣言行録』後集巻九・曾肇上皇即位し、欽聖太后權に同じく聽斷す。一日二府事を奏す。簾中より宣諭して曰く、神宗宮中に在りて嘗て曾肇は用う可しと稱せりと。召し還して中書舍人を除す。即日對を請いて言う、治道は言路を廣くするに在るのみと。㑹ミ日食四月朔に。故事、當に詔を降して直言を求むべし。特に公に命じて詔を草せしむ。因りて具さに上に言う所以の者を著し、中外に敷告す。是に於いて匭に投ずる者日に千を以て數う。故に上盡く天下の事を聞くを得たり。
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『宋名臣言行録』後集巻八・吕公著彗星見わる。詔して直言を求む。公疏して曰く、陛下に治めんと欲するの心有りて治を致すの實無き者は何ぞや。此れ事に任ずるの人の陛下に負くなり。何を以て之を言うや。士の邪正・賢不肖は蓋し素より定まるなり。今は則ち然らず。前日は之を舉げて以て天下の至賢と爲し、後日は之を逐いて以て天下の至不肖と爲す。其の人材に於いて既に反覆して常ならざれば、則ち政事に於いても亦た乖戾して審らかならず。陛下獨り之を察せざるかと。
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『宋名臣言行録』後集巻三・張方平蓋し朝廷の重輕は則ち此に在らず。誠に正人をして上に在り、物と私無く、舉動適當ならしめば、下以て之を議する無くして朝廷重からん。安んぞ下をして議するを得ざらしむるに在らんや。下情の上に通ぜざるは、此れ亦た人主の深患なり。可なれば則ち之に從い、否なれば則ち之に違う。豈に重きに害あらんや。西漢の初め、專ら功臣に任ず。侯なる者は絳・灌の流の如し。賢ならずと謂う可からず。而して賈誼・董仲舒をして皆死に至るまで用事するを得ざらしむるに至る。偏なれば則ち害生ず。故に曰く、張公は其の一を得て其の二を得ざるなりと。