宋名臣言行録 / 後集巻九・蘇軾
元祐七年上祀南郊公以兵部尚書為鹵簿使上因太廟宿齋行禮畢特至青城儀衛甚肅五使乘車至景靈宫東櫺星門外忽有赭盖犢車青盖犢車百餘輛衝突而來
新字:元祐七年上祀南郊公以兵部尚書為鹵簿使上因太廟宿斎行礼畢特至青城儀衛甚粛五使乗車至景霊宫東櫺星門外忽有赭盖犢車青盖犢車百余輛衝突而来
書き下し
元祐七年、上南郊を祀る。公兵部尚書を以て鹵簿使と爲る。上太廟に因りて宿齋し、禮を行い畢わりて特に青城に至る。儀衛甚だ肅たり。五使車に乘りて景靈宮の東の櫺星門外に至る。忽ち赭蓋の犢車、青蓋の犢車百餘輛有りて衝突して來たる。
現代語訳
元祐七年、天子が南郊を祀った。公は兵部尚書として鹵簿使となった。天子は太廟でそのまま斎戒し、礼を行い終えて、そのまま青城に至った。儀仗と護衛はきわめて粛然としていた。五人の使は車に乗って景霊宮の東、櫺星門の外に至った。突然、赤い蓋の車、青い蓋の車が百余輛あって、押し分けて突っ込んできた。
解説
国家の祭祀の行列が、整然と進んでいた場面です。**儀仗と護衛はきわめて粛然としていた。**そこへ、いきなり百余輛。**押し分けて突っ込んできた。**蓋の色が書かれているのが効いています。赤い蓋と青い蓋は、身分のある車の印です。つまり、通りかかった無法者ではありません。止められる者がいないから通れる、という種類の乱入でした。次の段で、それが誰だったかが分かります。
この章句が説くこと
元祐七年上南郊を祀る公兵部尚書を以て鹵簿使と為る上太廟に因りて宿斎し礼を行い畢わりて特に青城に至る儀衛甚だ粛たり五使車に乗りて景霊宮の東の櫺星門外に至る忽ち赭蓋の犢車青蓋の犢車百余輛有りて衝突して来たる儀仗乱入
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