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宋名臣言行録 / 前集巻三・張詠

淳化四年冬東西兩川旱民饑吏失救䘏冦大起五年正月賊首李順陷成都府詔王繼恩充招安使率兵討之復命公知成都府事五月繼恩破賊收成都上留公至秋始遣行時關中率民負粮以餉川師道路不絶公至府問城中所屯兵尚三萬人而無半月之食公訪知鹽價素髙而廩有餘積乃下其估聴民得以米易鹽民爭趨之未踰月得米數十萬斛軍中喜而呼曰此翁真善幹國事者

新字:淳化四年冬東西両川旱民饑吏失救䘏寇大起五年正月賊首李順陥成都府詔王継恩充招安使率兵討之復命公知成都府事五月継恩破賊収成都上留公至秋始遣行時関中率民負粮以餉川師道路不絶公至府問城中所屯兵尚三万人而無半月之食公訪知塩価素高而廩有余積乃下其估聴民得以米易塩民争趨之未踰月得米数十万斛軍中喜而呼曰此翁真善幹国事者

書き下し

淳化四年冬、東西兩川旱す。民饑う。吏、救䘏を失す。冦大いに起こる。五年正月、賊首李順、成都府を陷る。詔して王繼恩を招安使に充て、兵を率いて之を討たしむ。復た公に命じて成都府の事を知らしむ。五月、繼恩賊を破りて成都を收む。上、公を留めて秋に至りて始めて遣り行かしむ。時に關中、民に率いて粮を負いて以て川師に餉らしむ。道路絶えず。公府に至り、城中の屯する所の兵を問う。尚お三萬人にして半月の食無し。公、鹽價の素より髙くして廩に餘積有るを訪ね知る。乃ち其の估を下げ、民の米を以て鹽に易うるを得るを聴す。民爭いて之に趨る。未だ月を踰えずして米數十萬斛を得たり。軍中喜びて呼びて曰く、此の翁は真に善く國事を幹くる者なりと。

現代語訳

淳化四年の冬、東西の両川が旱魃になった。民は飢えた。役人は救済を怠った。賊が大いに起こった。五年正月、賊の首領李順が成都府を陥れた。詔が下って王継恩を招安使に充て、兵を率いて討たせた。あわせて公に命じて成都府の政を執らせた。五月、王継恩は賊を破って成都を取り返した。帝は公を都に留め、秋になってはじめて赴任させた。当時、関中では民を動員して兵糧を背負わせ、四川の軍に送っていた。道には人の列が絶えなかった。公は府に着いて、城中に駐屯する兵の数を尋ねた。まだ三万人いて、半月分の食もなかった。公は、塩の値がもともと高く、倉に余りの蓄えがあることを調べて知った。そこでその値を下げ、民が米で塩と交換できるようにした。民は争ってそこへ集まった。ひと月とたたないうちに米数十万斛を得た。軍中は喜んで叫んだ。「この爺さんは、まことに国の事をうまく捌く人だ」。

解説

兵三万に半月分の食も無い、という状態から始まる条です。関中から民に背負わせて運んでいましたが、それを増やす方向へは行きませんでした。**塩の値がもともと高く、倉に余りがあることを調べ、値を下げて米と交換できるようにした。**ひと月で米数十万斛です。運ぶのではなく、手持ちの余りと不足を交換させた。倉に何が余っているかを先に調べたところが、この手の起点になっています。

この章句が説くこと

塩価の素より高くして廩に余積有るを訪ね知る其の估を下げ民の米を以て塩に易うるを得るを聴す未だ月を踰えずして米数十万斛を得たり兵糧交換在庫

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