宋名臣言行録 / 後集巻五・趙抃
公初任成都攜一龜一鶴以行其再往也屏去龜鶴止一蒼頭執事張公裕學士送以詩云馬諳舊路行來滑龜放長河不共來
新字:公初任成都攜一亀一鶴以行其再往也屏去亀鶴止一蒼頭執事張公裕学士送以詩云馬諳旧路行来滑亀放長河不共来
書き下し
公初め成都に任ずるに、一龜一鶴を攜えて行く。其の再び往くや、龜鶴を屏け去り、止だ一蒼頭の執事のみ。張公裕學士送るに詩を以てして云う、馬は舊路に諳んじて行き來滑らかなり、龜は長河に放ちて共に來たらずと。
現代語訳
趙抃がはじめ成都に赴任したときは、亀を一匹と鶴を一羽携えて行った。二度目に赴いたときは、亀と鶴を退けて置いていき、ただ下男が一人、身の回りを務めるだけであった。張公裕学士は送別に詩を贈って言った。「馬は旧い路を覚えていて、行き来はなめらかである。亀は長い河に放って、ともには来なかった」。
解説
四十九字ですが、二回の赴任の差だけで人物を描いています。一度目は亀と鶴を連れていました。清らかな暮らしぶりを示す品でもあります。二度目は置いていきました。亀と鶴を退けて置いていき、ただ下男が一人、身の回りを務めるだけであった。清廉を示す道具さえ荷物だった、と気づいたのでしょう。送別の詩の下の句が優しい。亀は長い河に放って、ともには来なかった。捨てたのではなく、放してやったと書いています。
この章句が説くこと
公初め成都に任ずるに一亀一鶴を攜えて行く其の再び往くや亀鶴を屏け去り止だ一蒼頭の執事のみ馬は旧路に諳んじて行き来滑らかなり亀は長河に放ちて共に来たらず簡素二度目
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