宋名臣言行録 / 前集巻九・余靖
本名希古韶州人舉進士未預解薦曲江主薄王仝喜遇之時知韶州者舉制科仝亦舉制科知州怒以爲玩巳捃其罪無所得惟得仝與希古接坐仝坐違勅停任希古杖臋二十仝遂閒居䖍州不復仕進希古更名靖取他州解及第景祐中爲館職爲范文正訟寃獲罪由是知名范公叅政引爲諫官祕書丞茹孝標䘮服未除入京私營身計靖上言孝標冒哀求仕不孝孝標由是獲罪深恨靖靖遷龍圖閣直學士王仝數以書干靖求貨靖不能應其求孝標聞靖嘗犯刑詐匿應舉乃自詣韶州購求其案得之時錢子飛爲諫官方攻范黨孝標以其事語之子飛即以聞詔下䖍州問王仝靖隂使人諷仝令避去仝辭以貧不能出靖置銀百兩於茶篚中託人餉之所託者怪其重開視竊銀而致茶於仝仝大怒及詔至州官勸仝對當日接坐者余希古今不知所在仝不從對稱希古即靖是也靖遂以將軍分司
新字:本名希古韶州人舉進士未預解薦曲江主薄王仝喜遇之時知韶州者舉制科仝亦舉制科知州怒以為玩巳捃其罪無所得惟得仝与希古接坐仝坐違勅停任希古杖臋二十仝遂閒居䖍州不復仕進希古更名靖取他州解及第景祐中為館職為范文正訟冤獲罪由是知名范公参政引為諫官秘書丞茹孝標喪服未除入京私営身計靖上言孝標冒哀求仕不孝孝標由是獲罪深恨靖靖遷竜図閣直学士王仝数以書干靖求貨靖不能応其求孝標聞靖嘗犯刑詐匿応舉乃自詣韶州購求其案得之時銭子飛為諫官方攻范党孝標以其事語之子飛即以聞詔下䖍州問王仝靖陰使人諷仝令避去仝辞以貧不能出靖置銀百両於茶篚中託人餉之所託者怪其重開視窃銀而致茶於仝仝大怒及詔至州官勧仝対当日接坐者余希古今不知所在仝不従対称希古即靖是也靖遂以将軍分司
書き下し
本の名は希古。韶州の人。進士に舉げらるるも未だ解薦に預らず。曲江の主薄王仝、喜びて之に遇う。時に韶州を知る者、制科に舉げらる。仝も亦た制科に舉げらる。知州怒りて、以て巳を玩ぶと爲す。其の罪を捃むるに得る所無し。惟だ仝と希古と接坐するを得たり。仝、勅に違うに坐して停任せらる。希古、臋を杖つこと二十。仝、遂に䖍州に閒居して復た仕進せず。希古、名を靖と更め、他州の解を取りて及第す。景祐中、館職と爲る。范文正の爲に寃を訟えて罪を獲たり。是に由りて名を知らる。范公、參政となりて引きて諫官と爲す。祕書丞茹孝標、䘮服未だ除かざるに京に入りて私かに身計を營む。靖、上言す、孝標、哀を冒して仕を求む。不孝なりと。孝標、是に由りて罪を獲て深く靖を恨む。靖、龍圖閣直學士に遷る。王仝、數々書を以て靖に干して貨を求む。靖、其の求めに應ずる能わず。孝標、靖の嘗て刑を犯して詐り匿して應舉するを聞く。乃ち自ら韶州に詣りて其の案を購求して之を得たり。時に錢子飛、諫官と爲り、方に范黨を攻む。孝標、其の事を以て之に語る。子飛、即ち以て聞す。詔して䖍州に下して王仝に問わしむ。靖、隂かに人をして仝に諷して避け去らしむ。仝、貧にして出づる能わずと辭す。靖、銀百兩を茶篚の中に置きて人に託して之に餉る。託する所の者、其の重きを怪しみ、開き視て銀を竊みて茶を仝に致す。仝大いに怒る。詔の州に至るに及び、官、仝に勸む、當日、接坐せし者は余希古なり。今、在る所を知らずと對えよと。仝、從わず。對えて希古は即ち靖なりと稱す。靖、遂に將軍分司を以てす。
現代語訳
もとの名は希古。韶州の人であった。進士に挙げられたが、まだ推薦の枠に入っていなかった。曲江の主簿の王仝が喜んで交わった。当時、韶州の長官が制科に挙げられた。王仝もまた制科に挙げられた。長官は怒って、自分をなぶるものと考えた。その罪を探し集めても得られるものがなかった。ただ王仝と希古が席を並べていたことだけを掴んだ。王仝は勅に背いたとして職を止められた。希古は尻を杖で二十打たれた。王仝はそこで虔州に隠棲して、二度と官に就かなかった。希古は名を靖と改め、他州の推薦を取って及第した。景祐年間、館職となった。范仲淹のために冤を訴えて罪を得た。これによって名が知られた。范仲淹が参知政事となって、引き入れて諫官とした。秘書丞の茹孝標が、喪服をまだ脱がないうちに都に入って、ひそかに身の振り方を図った。余靖は上言した。「茹孝標は哀しみを冒して仕官を求めた。不孝である」。茹孝標はこれによって罪を得て、深く余靖を恨んだ。余靖は龍図閣直学士に移った。王仝はたびたび書状で余靖に頼んで財を求めた。余靖はその求めに応じられなかった。茹孝標は、余靖がかつて刑を受けたのに偽って隠して受験したことを聞いた。そこで自分で韶州へ行ってその記録を買い求めて手に入れた。当時、銭明逸が諫官であって、ちょうど范仲淹の一派を攻撃していた。茹孝標はその事を告げた。銭明逸はすぐに奏上した。詔が虔州に下って王仝に問わせた。余靖はひそかに人をやって王仝に、避けて去るよう匂わせた。王仝は、貧しくて出られないと断った。余靖は銀百両を茶籠の中に入れて人に託して贈った。託された者はその重さを怪しみ、開いて見て銀を盗み、茶だけを王仝に届けた。王仝はひどく怒った。詔が州に届いたとき、役人は王仝に勧めた。「あの日席を並べていたのは余希古です。いまどこにいるか分かりません、と答えなさい」。王仝は従わなかった。答えて、希古とは余靖のことです、と述べた。余靖はそこで将軍分司に落とされた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『呻吟語』内篇・應務・有意にして能く掩ふ者無し只だ跡無くして疑を生ずる有り、再び有意にして能く掩ふ者無し。畏れざる可けんや。
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『呻吟語』内篇・修身・善を彰さずして德を損せず其の善有りて彰るる者は、必ず其の惡有りて掩ふ者なり。君子は善を彰して以て德を損せず、惡を掩ひて以て慝を長ぜず。
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『呻吟語』内篇・修身・一個の真小人を成就す過ちや、人皆な之を見る、乃ち君子を見る。今人過ちの見る可き無し、豈に能く君子より賢ならんや。緣は只だ文飾彌縫の上に在りて工夫を做し、無限の巧回護を費やし盡くして、一個の真小人を成就するに在り。
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『春秋左氏伝』襄公十七年 左師、策を短くす冬、邾人我が南鄙を伐つ。齊の為の故なり。宋の華閱卒す。華臣皋比の室を弱めんとし、賊をして其の宰華吳を殺さしむ。賊六人鈹を以って諸を盧門、合左師の後に殺す。左師懼れて曰く、「老夫罪無し」と。賊曰く、「皋比私に吳を討つ有り」と。遂に其の妻を幽して曰く、「余に而の大璧を畀へよ」と。宋公之を聞きて曰く、「臣や、唯だ其の宗室に是れ暴するのみならず、大いに宋國の政を亂る。必ず之を逐はん」と。左師曰く、「臣も亦た卿なり。大臣順ならざるは、國の恥なり。之を蓋ふに如かず」と。乃ち之を舍く。左師己が為に策を短くし、苟も華臣の門を過ぐれば、必ず騁す。
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史記 酷吏列伝淮陽に誅滅する所甚だ多し、死するに及び、仇家其の尸を焼かんと欲す、尸亡げ去りて帰葬す。温舒等悪を以て治を為してより、而して郡守・都尉・諸侯の二千石の治を為さんと欲する者、其の治大抵尽く温舒に放ふ、而して吏民益々軽く法を犯し、盗賊滋々起こる。南陽に梅免・白政有り、楚に殷中・杜少有り、斉に徐勃有り、燕趙の間に堅盧・范生の属有り。大群は数千人に至り、擅に自ら号し、城邑を攻め、庫兵を取り、死罪を釈し、郡の太守・都尉を縛辱し、二千石を殺し、檄を為りて県に告げて食を具ふるを趣す。小群は百を以て数へ、郷里を掠鹵する者、勝げて数ふべからざるなり。是に於て天子始めて御史中丞・丞相長史をして之を督せしむ。猶ほ禁ずること能はざるなり、乃ち光禄大夫范昆・諸輔都尉及び故の九卿張徳等をして繍衣を衣、節を持し、虎符もて兵を発して以て興撃せしむ、首を斬ること大部或いは万余級に至り、及び法を以て通飲食を誅し、坐して諸郡に連なり、甚しき者は数千人。数歳にして、乃ち頗る其の渠率を得。散卒失亡し、復た党を聚めて山川に阻む者、往往にして群居し、柰何ともすべき無し。是に於て「沈命法」を作る、曰く群盗起こりて発覚せず、発覚して捕ふるも品に満たざる者は、二千石以下小吏の主る者に至るまで皆死せしむと。其の後小吏誅を畏れ、盗有りと雖も敢て発せず、得ること能はずして、課に坐して府に累はさんことを恐る、府も亦其れをして言はざらしむ。故に盗賊寖く多く、上下相為に匿し、文辞を以て法を避く。減宣は、楊の人なり。佐史にして害無きを以て河東の守府に給事す。衛将軍青使ひして馬を河東に買はしむ、宣の害無きを見て、上に言ひ、徴して大廐の丞と為す。官事弁じ、稍く遷りて御史及び中丞に至る。主父偃を治め及び淮南の反獄を治めしむ、微文深詆を以てする所以、殺す者甚だ衆し、称して敢て疑はしきを決すと為す。
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『政談』大坂在番の事且又大坂にては下々の欠落常にある事なり、欠落は大方は御城下へ出てゝ定の刻限に帰らぬ故直に欠落になるなり、又行きかた知れず失することもあり、大方は博奕などの意趣によりで海へ突落して殺す成るへし、又欠落したるものが十日計りも過きて後御城内へ来り、其の儘又何方へやらん行くこともありと承はる、不思議千万なることなり、畢竟御堀を越え来るべきやうなし、御門より出入するか、御城中にかくれ居るか、此の二つを出つべからず、惣じて余りに法厳しく、一事あれば詮議六ケ敷故、面々に事のなきやうにと心得ることを、御番衆の伝授にすることにて斯の如きこと却て知れぬと見えたり、法を末にて厳しくして、元来法の立てやうに行届かぬ所有れば、必ず斯の如くなるものなり、大坂御番に限らず、当時は何方も〳〵斯の如し、心得あるべきこと也、

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