宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
初曹后難於還政公說曰當别與太后議儀制(山呼警蹕益衛士五百人之類)太后既允即以諷上上曰相公苦崇奬母后是豈好事公曰臣等亟以此誘之方肯放下陛下何惜此邪
新字:初曹后難於還政公説曰当別与太后議儀制(山呼警蹕益衛士五百人之類)太后既允即以諷上上曰相公苦崇奨母后是豈好事公曰臣等亟以此誘之方肯放下陛下何惜此邪
書き下し
初め曹后政を還すを難ず。公說きて曰く、當に別に太后と儀制を議すべしと(山呼警蹕・衛士五百人を益す之類)。太后既に允す。即ち以て上に諷す。上曰く、相公苦だ母后を崇奬す。是れ豈に好事ならんやと。公曰く、臣等亟かに此を以て之を誘い、方に肯えて放下せしむ。陛下何ぞ此を惜しまんやと。
現代語訳
はじめ曹太后は政を返すのを渋った。韓琦は説いて言った。「別に太后のための儀礼の制度を議すべきです」(万歳の唱和や露払い、警護の兵五百人を増やす、といった類である)。太后が承知した。そこでそれを天子にほのめかした。天子は言った。「宰相はしきりに母后を持ち上げる。これは良いことなのか」。韓琦は言った。「臣らは急ぎこれをもって誘い、ようやく手放させたのです。陛下、どうしてこれを惜しまれますか」。
解説
手放させるために、別のものを差し出した条です。差し出したのは権限ではなく儀礼でした。**万歳の唱和や露払い、警護の兵五百人を増やす類である。**実権は返してもらい、格式は厚くする。天子は不審がりました。**宰相はしきりに母后を持ち上げる。これは良いことなのか。**答えは身も蓋もありません。**臣らは急ぎこれをもって誘い、ようやく手放させたのです。陛下、どうしてこれを惜しまれますか。**交渉であったことを、天子に対しては隠していません。惜しむべきものと、惜しむに足りないものを分けています。
この章句が説くこと
当に別に太后と儀制を議すべし相公苦だ母后を崇奨す是れ豈に好事ならんや臣等亟かに此を以て之を誘い方に肯えて放下せしむ陛下何ぞ此を惜しまんや交渉儀礼
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦曹后初め未だ政を還さず。公力めて古を引きて以て之を動かして云う、前世の母后、更に聰明なる者多し。權位に固吝して名德を敗らざるは莫し。太后若し脫然として復辟せば、則ち是れ千古未だ有らざる所なり。請う、史書を閲せよ。一一見る可しと。太后曰く、自家何ぞ敢えて賢人を望まんやと。公其の意の回りしを察し、即ち連ねて之に賛成す。後數日、批出でて云う、某日更に殿に御せずと。公亟かに簾を捲き坐を徹せしめ、乃ち往きて上に白す。上曰く、未だしからずやと。公曰く、已に親詔を得たりと。上遂に釋然たり。
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