宋名臣言行録 / 前集巻七・种世衡
初至青澗城教吏民習射雖僧道婦人亦習之以銀為射的中者與之既而中者益多其銀重輕如故而的漸厚且小矣或爭徭役優重亦使之射射中者得優處有過失亦使之射射中則釋之由是人人皆能射
新字:初至青澗城教吏民習射雖僧道婦人亦習之以銀為射的中者与之既而中者益多其銀重軽如故而的漸厚且小矣或争徭役優重亦使之射射中者得優処有過失亦使之射射中則釈之由是人人皆能射
書き下し
初め青澗城に至り、吏民に射を習うを教う。僧道・婦人と雖も亦た之を習う。銀を以て射的と為し、中つる者に之を與う。既にして中つる者益々多し。其の銀の重輕は故の如くにして、的漸く厚く且つ小なり。或いは徭役の優重を爭わば、亦た之をして射せしむ。射中つる者は優處を得たり。過失有るも亦た之をして射せしむ。射中つれば則ち之を釋く。是に由りて人人皆な能く射す。
現代語訳
はじめ青澗城に着いて、役人にも民にも弓を習わせた。僧や道士や婦人でさえ、これを習った。銀を的にして、当てた者にそれを与えた。ほどなく当てる者がますます多くなった。銀の重さは元のままにして、的はしだいに厚く、そして小さくなった。労役の軽重を争う者があれば、やはり弓を射させた。当てた者が楽なほうを得た。過失があった者にも、やはり弓を射させた。当たればそれで釈放した。これによって、人という人がみな弓を射られるようになった。
解説
弓を、賞と裁きの両方に使った条です。まず銀を的にして当てた者に与える。**当てる者が増えたら、銀の重さは変えずに、的を厚く小さくした。**報酬は同じで、難度だけを上げています。そして応用が広い。**労役の軽重を争えば射させ、当てた者が楽なほうを得る。過失があった者にも射させ、当たれば釈放する。**争いも刑も、弓の腕に変換されました。**人という人がみな弓を射られるようになった。**
この章句が説くこと
銀を以て射的と為し中つる者に之を与う其の銀の重軽は故の如くにして的漸く厚く且つ小なり過失有るも亦た之をして射せしむ射中つれば則ち之を釈く訓練報酬難度
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