宋名臣言行録 / 前集巻二・李沆
沆在相位接賔客常寡言馬亮與沆同年生又與其弟維善語維曰外議以大兄為無口匏維乘間達亮語沆曰吾非不知也然今之朝士得升殿言事上封論奏了無壅蔽多下有司皆見之矣若邦國大事北有強虜西有戎遷日旰條議所以備禦之䇿非不詳究薦紳中如李宗諤趙安仁皆時之英秀與之談猶不能啟發吾意自餘通籍之子坐起拜揖尚周章失措即席必自論功最以希寵奬此有何䇿而與之接語哉茍曲意妄言即世所謂籠罩籠罩之事僕病未能也為我謝馬君沆嘗言居重位實無補萬分唯中外所陳利害一切報罷之此少以報國耳朝廷防制纎悉備具或狥所陳請施行一事即所傷多矣陸象先曰庸人擾之正此謂也憸人茍一時之進豈念民邪
新字:沆在相位接賔客常寡言馬亮与沆同年生又与其弟維善語維曰外議以大兄為無口匏維乗間達亮語沆曰吾非不知也然今之朝士得升殿言事上封論奏了無壅蔽多下有司皆見之矣若邦国大事北有強虜西有戎遷日旰条議所以備禦之策非不詳究薦紳中如李宗諤趙安仁皆時之英秀与之談猶不能啟発吾意自余通籍之子坐起拝揖尚周章失措即席必自論功最以希寵奨此有何策而与之接語哉茍曲意妄言即世所謂籠罩籠罩之事僕病未能也為我謝馬君沆嘗言居重位実無補万分唯中外所陳利害一切報罷之此少以報国耳朝廷防制繊悉備具或狥所陳請施行一事即所傷多矣陸象先曰庸人擾之正此謂也憸人茍一時之進豈念民邪
書き下し
沆相位に在り、賔客に接するに常に言寡なし。馬亮、沆と同年の生なり。又た其の弟維と善し。維に語りて曰く、外議大兄を以て無口匏と為すと。維、間に乘じて亮の語を達す。沆曰く、吾れ知らざるに非ざるなり。然れども今の朝士、殿に升りて事を言い、封を上りて論奏するを得。了に壅蔽無く、多く有司に下る。皆な之を見るなり。邦國の大事の若きは、北に強虜有り、西に戎遷有り。日旰に條議して以て備禦する所の䇿、詳究せざるに非ず。薦紳の中、李宗諤・趙安仁の如きは皆な時の英秀なり。之と談ずるも猶お吾が意を啟發する能わず。自餘の通籍の子、坐起拜揖すら尚お周章して措を失う。席に即けば必ず自ら功最を論じて以て寵奬を希う。此れ何の䇿有りて之と接語せんや。茍くも意を曲げて妄言せば、即ち世に所謂る籠罩なり。籠罩の事、僕病みて未だ能わず。我が為に馬君に謝せよと。沆嘗て言う、重位に居るも實に萬分に補う無し。唯だ中外の陳ぶる所の利害、一切之を報罷す。此れ少しく以て國に報ゆるのみと。朝廷の防制は纎悉備具す。或いは陳請する所に狥いて一事を施行せば、即ち傷る所多し。陸象先曰く、庸人之を擾すと。正に此の謂いなり。憸人は一時の進を茍くす。豈に民を念わんや。
現代語訳
李沆は宰相の位にあって、客に接してもいつも口数が少なかった。馬亮は李沆と同年の及第で、その弟の維とも親しかった。維に言った。「世間の議論では、あなたの兄上は口の無い瓢箪だと言われている」。維は折を見て馬亮の言葉を伝えた。李沆は言った。「私が知らないわけではない。しかし今の朝廷の官人は、殿に上って事を言い、封書を差し出して論じ奏することができる。まったく塞がれるところがなく、多くは担当の役所に下される。私はみなそれを見ている。国家の大事となれば、北に強い敵があり、西に西夏がある。日暮れまで箇条を議して備え防ぐ策を、詳しく究めていないわけではない。官人の中で李宗諤や趙安仁のような者は、みな当代の英才だ。その者たちと語っても、なお私の考えを開き広げてはくれない。それ以外の官籍にある者は、坐ったり立ったり礼をしたりすることさえ、うろたえて所作を誤る。席に着けば必ず自分の功績を数え上げて引き立てを願う。これに何の策があって語り合えようか。もし心を曲げていいかげんなことを言えば、それが世にいう籠絡というものだ。籠絡の事は、私は病んでいてまだできない。私に代わって馬君に礼を述べておいてくれ」。李沆はかつて言った。「重い位にいても、実際には万分の一も補うところがない。ただ内外から述べられてくる利害の建議を、いっさい却下している。それが少しは国に報いることになるだけだ」。朝廷の制度は細かいところまで備わっている。もし建議に従って一つの事を実行すれば、そのぶん損なわれるところが多い。陸象先は「凡庸な者がそれをかき乱す」と言った。まさにこのことである。心のねじけた者は一時の出世を求めるだけで、どうして民のことを思うだろう。
解説
この章句が説くこと
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『宋名臣言行録』前集巻二・王旦公の母弟、傲にして訓う可からず。一日、冬至に遇う。家廟を祠り、百壺を堂前に列ぬ。弟皆な之を擊ち破る。家人惶駭す。公忽ち外より入り、酒の流れて地に滿ち行く可からざるを見る。俱に一言も無く、但だ衣を攝りて步み入る。其の後、弟忽ち感悟して復た善を為す。終に亦た言わず。
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