宋名臣言行録 / 後集巻十四・陳襄
公主建州之浦城簿㑹邑闕令公獨當縣事邑之封疆逺多世族前後令罕能制蔽䝉請託習以為常公夜寐夙興務究其弊訟之難聽而積久者窮極本源剖决無留有請託者惜其士類不欲遽繩以法每聽訟必數人環列於前私謁者無所發由是邑人知公之不可干老姦宿贜縮手䘮氣民畏且愛争圖公之像以神事之至今
新字:公主建州之浦城簿会邑闕令公独当県事邑之封疆遠多世族前後令罕能制蔽䝉請託習以為常公夜寐夙興務究其弊訟之難聴而積久者窮極本源剖決無留有請託者惜其士類不欲遽縄以法毎聴訟必数人環列於前私謁者無所発由是邑人知公之不可干老姦宿贜縮手喪気民畏且愛争図公之像以神事之至今
書き下し
公建州の浦城の簿を主る。會ミ邑令を闕く。公獨り縣事に當たる。邑の封疆遠く、世族多し。前後の令罕に能く制する莫く、請託に蔽蒙せられて習いて常と爲す。公夜に寐ね夙に興き、務めて其の弊を究む。訟の聽き難くして積むこと久しき者は、本源を窮極して剖决して留むる無し。請託する者有るも、其の士類を惜しみ、遽かに繩するに法を以てするを欲せず。訟を聽く每に必ず數人を前に環列せしむ。私謁する者發する所無し。是に由りて邑人公の干す可からざるを知る。老姦宿贓手を縮め氣を喪う。民畏れ且つ愛し、争いて公の像を圖きて以て神として之に事うること今に至る。
現代語訳
陳襄は建州の浦城県の主簿を務めた。ちょうど県令が欠員であった。陳襄はひとりで県の政務にあたった。県の境は遠くまで広がり、旧家が多かった。前後の県令はほとんど押さえることができず、口利きに目をふさがれて、それが習慣となっていた。陳襄は夜に寝て朝早く起き、努めてその弊害の根を突き止めた。訴訟のうち裁きにくくて長く積み残されていたものは、その根本まで究めて裁き、残さなかった。口利きをする者があっても、その人が士人であることを惜しみ、いきなり法で縛ろうとはしなかった。訴訟を聴くたびに、必ず数人を前にぐるりと並べて座らせた。私的に頼み込もうとする者は、切り出す隙がなかった。これによって県の人々は、陳襄に付け入ることができないと知った。年季の入った悪党や古手の汚職者は手を引き、気勢をそがれた。民は畏れ、そして慕い、争って陳襄の像を描いて、神として祀ることが今日まで続いている。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻十四・陳襄尚書祠部を判す。權貴人の寺觀の名額を奏乞し、且つ僧人道士を度せんとするに遇う。公堅く著令を執りて爲に行わず。因りて奏言す、近年以来、宮闈宦官より以て要近に及ぶまで、一例に陳乞す。蓋し秉政の大臣、陛下の爲に典刑を愛惜せず、首として凟亂を爲す。有る所の詔令、未だ敢えて奉行せず、と。
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『宋名臣言行録』後集巻十四・陳襄仙居は縣と爲りて僻陋なり。民教を知らず。公正歲に、耆老の来たり賀するに因りて勸學一篇を作り、門人管師復をして庭に讀ましむ。且つ之に諭して曰く、吾秩滿ちて即ち去らん。爾ミに子弟有らば、亟かに遣わして學に就かしめよ、と。是に於いて耆老相い與に感泣歎嗟し、之に從うこと翕然たり。社稷・孔子廟を過ぐる每に、必ず下りて趨る。邑人是れより矜式する所有り。學者興起す。縣に西圃有り。蕪廢して葺わず。民を縱して其の中に耕種せしむ。然れども興建有る每に、必ず民の利を爲す。故に瓦木の資、民に責めずして樂しみて之を輸す。下は席を織るの微に至るまで、亦た得る所を出だして以て助けんことを願う。公の去るに及ぶや、老幼車に攀じ道を遮り、幾ど境を出づるを得ず。
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『宋名臣言行録』後集巻十四・陳襄先に詔有りて郡邑に學を興す。公遂に邑の富人に諭して、餘る所を出だして以て學舍を繕わしむ。學成りて邑の子弟をして焉に造らしむ。公爲に入學して講説して斁まず。士の遠方より来たる者、數百人に至る。部使者安刑部積始めて其の縣に至る。公即ち十事の民に便なる者を以て之に干す。安皆な之を行う。人其の賜を受く。
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『宋名臣言行録』後集巻十四・陳襄出でて常州を知る。郡庠下窄にして以て生師を容るるに足らず。公經始に勤め、成すに日ならず。其の規模氣象、遂に諸郡庠序の冠と爲る。公晨に其の中に入り、坐して諸生に經義を授け、旁ら郡事を决す。是に由りて毗陵の學者、二浙に盛んなり。治平の初め召還せらる。將に行かんとして、官に委ねて公帑を閲せしむ。雜收無名の錢數百萬を得たり。因りて積年官逋有りて未だ償わず、情矜れむ可くして力足らざる者を召し、悉く以て之に輸す。蓋し公宴樂に淡し。故に餘り有りて以て物に周きに足る。
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『宋名臣言行録』後集巻十四・陳襄公浦城縣を知るの日、人の物を失う有り。捕え得たるも、的として盜爲る者を知る莫し。述古乃ち之を紿きて曰く、某廟に一鐘有り、能く盜を辨ずること至って靈なり、と。人をして迎えて後閣に置かしめ、之を伺う。郡囚を引きて鐘の前に立たしめ、自ら陳べしむ。盜を爲さざる者之を摸すれば則ち聲無く、盜を爲す者之を摸すれば則ち聲有り、と。述古自ら同職を率いて鐘に禱ること甚だ肅なり。祭り訖わりて帷を以て之を蔽う。乃ち陰かに人をして墨を以て塗らしむ。良や久しくして囚を引き、逐一に手を引きて帷に入れて之を摸せしむ。出でて乃ち其の手を騐するに皆な墨有り。惟だ一囚のみ墨無し。之を訊して遂に盜爲るを承く。蓋し鐘に聲有らんことを恐れて敢えて摸さざればなり。此れ亦た古の法にして小説より出づ。
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『宋名臣言行録』後集巻十四・陳襄熙寧二年、陳述古學士襄、右史より臺雜に遷る。近例に左右次に知制誥を補す。臺雜は乃ち三司副使に叙遷す。是に於いて特に旨を降して□知制誥の闕、召試に與らしむ。襄辭して曰く、陛下義を以て臣を使わば、則ち臣敢えて惟だ命是れ聽かざらんや。豈に資地を計較して以て輕重と爲す可けんや。况んや義の在る所、知りて言わざる無し。夫れ豈に鈇鑕の前に在りて寵祿の後に居るを知らんや。一たび利を顧み害を避くるの心有らば、則ち依違姑息、至らざる所無し。身且つ正しからず、焉んぞ能く人を正さんや、と。乃ち前命を追寝するを許す。明年、青苗の事を言うを以て復た右史と爲る。又た歲餘にして始めて誥命を掌る。