宋名臣言行録 / 後集巻八・吕希哲
正獻公廣用當世賢士人之有一善無不用也嘗以數幅紙書當世名士姓名既而失之後復見此紙則所書人悉用之矣正獻公嘗親書遺公曰當世善士無不用者獨爾以吾故不得用亦命也
新字:正献公広用当世賢士人之有一善無不用也嘗以数幅紙書当世名士姓名既而失之後復見此紙則所書人悉用之矣正献公嘗親書遺公曰当世善士無不用者独爾以吾故不得用亦命也
書き下し
正獻公廣く當世の賢士を用う。人の一善有れば用いざるは無きなり。嘗て數幅の紙を以て當世名士の姓名を書す。既にして之を失う。後に復た此の紙を見れば則ち書す所の人は悉く用いたり。正獻公嘗て親ら書して公に遺りて曰く、當世の善士用いざる者無し。獨り爾のみ吾が故を以て用うるを得ず。亦た命なりと。
現代語訳
父の正献公は広く当代の賢士を用いた。人に一つでも善いところがあれば、用いないことがなかった。かつて数枚の紙に当代の名士の姓名を書いた。そのうちこれを紛失した。後にあらためてこの紙を見ると、書いてあった人はことごとく用いていた。正献公はかつて自ら書いて公に送って言った。「当代の善士で用いなかった者はない。ただおまえだけは、私がいるために用いられない。これもまた命である」。
解説
紛失した紙が出てきて、そこに書いた全員が用いられていた。人を用いる量が、この一件でわかります。そのうえで、一人だけ残りました。**ただおまえだけは、私がいるために用いられない。**息子です。避けているのは疑いであって、能力ではありません。しかも言い訳をせず、詫びもしていない。**これもまた命である。**それを手紙に書いて本人に送るところが、この父子の在り方でした。
この章句が説くこと
正献公広く当世の賢士を用う人の一善有れば用いざるは無きなり後に復た此の紙を見れば則ち書す所の人は悉く用いたり当世の善士用いざる者無し独り爾のみ吾が故を以て用うるを得ず亦た命なり推挙身内
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