宋名臣言行録 / 前集巻二・李沆
元城論本朝名相最得大臣體者惟李沆或曰何以明之李丞相每謂人曰沆在政府無以補報國家但諸處有人上利害一切不行耳此大似失言然有深意且祖宗時經變多矣故所立法度極是穏便正如老醫㸔病極多故用藥不至孟浪殺人且其法度不無小害但其利多耳後人不知遂欲輕改此其害所以紛紛也李丞相每朝謁奏事畢必以四方水旱盗賊不孝惡逆之事奏聞上為之變色慘然不悦既退同列以為非問丞相曰吾儕當路幸天下無事丞相每奏以不美之事以拂上意然又皆有司常行不必面奏之事後告已之公不答數數如此因謂同列曰人主一日豈可不知憂懼若不知憂懼則無所不至矣惟此兩事最為得體在漢時惟魏相能行此兩事以為古今異制方今務在奉行故事而已奏故事詔書凡二十三事敕掾史案事郡國及休告從家還至府輙白四方異聞或有逆賊風雨災變郡不上相輙奏言之此最得宰相太體後之為相者則或不然好逞私智喜變祖宗之法度欺蔽人主惡言天下災異喜變法度則綱紀亂惡言災異則人主驕此大患也
新字:元城論本朝名相最得大臣体者惟李沆或曰何以明之李丞相毎謂人曰沆在政府無以補報国家但諸処有人上利害一切不行耳此大似失言然有深意且祖宗時経変多矣故所立法度極是穏便正如老医㸔病極多故用薬不至孟浪殺人且其法度不無小害但其利多耳後人不知遂欲軽改此其害所以紛紛也李丞相毎朝謁奏事畢必以四方水旱盗賊不孝悪逆之事奏聞上為之変色惨然不悦既退同列以為非問丞相曰吾儕当路幸天下無事丞相毎奏以不美之事以払上意然又皆有司常行不必面奏之事後告已之公不答数数如此因謂同列曰人主一日豈可不知憂懼若不知憂懼則無所不至矣惟此両事最為得体在漢時惟魏相能行此両事以為古今異制方今務在奉行故事而已奏故事詔書凡二十三事勅掾史案事郡国及休告従家還至府輙白四方異聞或有逆賊風雨災変郡不上相輙奏言之此最得宰相太体後之為相者則或不然好逞私智喜変祖宗之法度欺蔽人主悪言天下災異喜変法度則綱紀乱悪言災異則人主驕此大患也
書き下し
元城、本朝の名相の最も大臣の體を得たる者を論ずるに、惟だ李沆のみ。或ひと曰く、何を以て之を明らかにすと。李丞相毎に人に謂いて曰く、沆政府に在り、以て國家に補報する無し。但だ諸處に人の利害を上る有るも、一切行わざるのみと。此れ大いに失言に似たり。然れども深意有り。且つ祖宗の時、變を經ること多し。故に立つる所の法度、極めて是れ穏便なり。正に老醫の病を㸔ること極めて多し、故に藥を用うるに孟浪に人を殺すに至らざるが如し。且つ其の法度、小害無きにあらず。但だ其の利多きのみ。後人知らず、遂に輕々しく改めんと欲す。此れ其の害の紛紛たる所以なり。李丞相毎に朝謁して事を奏し畢われば、必ず四方の水旱・盗賊・不孝惡逆の事を以て奏聞す。上之が為に色を變じ、慘然として悦ばず。既に退くに、同列以て非と為して丞相に問いて曰く、吾儕路に當たり、幸いに天下事無し。丞相毎に奏するに不美の事を以てして、以て上意に拂う。然れども又た皆な有司の常行にして、必ずしも面奏せざるの事なりと。後に告ぐるも已む。公答えず。數々此くの如し。因りて同列に謂いて曰く、人主一日も豈に憂懼を知らざる可けんや。若し憂懼を知らずんば、則ち至らざる所無からんと。惟だ此の兩事、最も體を得たりと為す。漢の時に在りては、惟だ魏相のみ能く此の兩事を行う。以為えらく、古今制を異にす、方今務めは故事を奉行するに在るのみと。故事の詔書を奏すること凡そ二十三事。掾史に敕して郡國を案事せしめ、及び休告して家より還りて府に至れば、輙ち四方の異聞、或いは逆賊・風雨・災變有りて郡上らざれば、相輙ち之を奏言す。此れ最も宰相の大體を得たり。後の相と為る者は則ち或いは然らず。好んで私智を逞しくし、祖宗の法度を變ずるを喜び、人主を欺蔽し、天下の災異を言うを惡む。法度を變ずるを喜べば則ち綱紀亂れ、災異を言うを惡めば則ち人主驕る。此れ大患なり。
現代語訳
劉安世(元城)が、本朝の名宰相のうち最も大臣らしさを得た者を論じて、ただ李沆だけだと言った。ある人が「何によってそれが分かるか」と問うた。李丞相はいつも人に言っていた。「私は政府にあって、国家に報いるところが何もない。ただ各所から利害を上申してくる者があっても、いっさい実行しないだけだ」。これは大いに失言のように見える。しかし深い意味がある。祖宗の時代には多くの変事を経てきた。だから立てられた法度はきわめて穏当である。ちょうど老練な医者が病をたいそう多く見てきたから、薬を用いるのに無闇に人を殺すには至らないのと同じだ。その法度に小さな害が無いわけではない。ただ利のほうが多いというだけである。後の人はそれを知らず、そこで軽々しく改めようとする。これが害が次々に起こる理由である。李丞相は朝廷で奏上を終えるたびに、必ず各地の水害・旱害・盗賊・不孝や大罪の事を奏聞した。帝はそのために顔色を変え、痛ましく思って晴れなかった。退出すると、同僚たちはそれをよくないと考えて丞相に尋ねた。「我らが路に当たり、幸いに天下に事はありません。丞相はそのたびに美しからぬ事を奏上して、主上のお心に逆らわれる。しかもそれらはみな担当の役所が常に処理していることで、必ずしも面前で奏上する必要のない事です」。後で告げても同じだった。公は答えなかった。何度もそうであった。そこで同僚に言った。「主上が一日でも憂え恐れることを知らずにいてよいものか。もし憂え恐れることを知らなければ、至らないところが無くなるだろう」。この二つのことこそ、最も大臣の体を得ている。漢の時代には、ただ魏相だけがこの二つを行った。古と今とでは制度が違う、いま務めるべきは先例を奉行することだけだ、と考えたのである。先例の詔書を奏上したのは合わせて二十三事。属官に命じて郡国を調べさせ、休暇から家に戻って役所に着けば、すぐに四方の異聞、あるいは逆賊・風雨・災変があって郡が報告していないものを、宰相はただちに奏上した。これが最も宰相の大筋を得ている。後に宰相となった者はそうではない。好んで自分の小賢しさを振るい、祖宗の法度を変えることを喜び、君主を欺いて覆い隠し、天下の災異を口にすることを憎む。法度を変えることを喜べば綱紀が乱れ、災異を口にすることを憎めば君主が驕る。これが大きな患いである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『格言聯璧』從政類・多事の門を開くこと莫かれ大いに民に益有るに非ずんば、則ち輕々しく舉ぐること莫かれ。情に通ずべき有らば、舊有る者を將て、過ぎて裁抑して以て寡恩の怨を生ずること莫かれ。事已むを得るに在らば、舊無き者を將て、妄りに增設して以て多事の門を開くこと莫かれ。 前人為る者は、譽を干め情を矯めて、一切常にすべからざるの法を立てて、以て後人を難ましむること無かれ。
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言志四録・言志後録 第百九十六条 已むを得ざるに動く事已むを得ざるに動けば、動くも亦悔い無し。革の夬に在りて曰く、「巳日にして乃ち革む」とは是れなり。若し其れ容易に紛更して快を一時に取らば、外面美なるが如しと雖も、後必ず臍を噬まん。政を為す者の宜しく戒むべき所なり。
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史記 高祖本紀三王の道は循環するが若く、終はりて復た始まる。周・秦の間は、文敝すと謂ふべし。秦の政改めず、反つて刑法を酷にす、豈に繆(あやま)りならずや。故に漢興り、敝を承けて変を易(か)へ、人をして倦まざらしむ、天統を得たり。朝するに十月を以てす。車服は黄屋左纛なり。長陵に葬る。
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『韓非子』顯學第五十今上耕田墾草を急にして以て民産を厚くするに、而も上を以て酷と爲す。刑を脩め罰を重くして以て邪を禁ずるを爲すに、而も上を以て嚴と爲す。錢粟を徵賦して以て倉庫を實たし、且つ以て飢饉を救ひ、軍旅に備ふるに、而も上を以て貪と爲す。境内必ず介を知りて私解無く、力を并せて疾く闘ふは、虜を禽にする所以なり、而も上を以て暴と爲す。此の四者は、治安する所以なり、而も民悅ぶを知らざるなり。夫れ聖通の士を求むる者は、民の知師用するに足らざるが爲なり。昔禹江を決し河を濬ひて、民瓦石を聚め、子産畝を開き桑を樹ゑて、鄭人謗訾す。禹は天下を利し、子産は鄭人を存す、皆以て謗を受く、夫れ民智の用ふるに足らざること亦明らかなり。
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史記 滑稽列伝凡そ三弟子を投ず。西門豹曰く、「巫嫗・弟子は是れ女子なり。事を白す能はず。三老を煩はして為に入りて之を白さしめん」と。復た三老を河中に投ず。西門豹、筆を簪にし磬折して、河に向かひて立ちて待つこと良久し。長老・吏の傍観する者皆驚恐す。西門豹顧みて曰く、「巫嫗・三老来たり還らず。之を奈何せん」と。復た廷掾と豪長者一人とをして入りて之を趣さしめんと欲す。皆叩頭し、叩頭して且に破れんとし、額の血地に流れ、色死灰の如し。西門豹曰く、「諾。且く留まりて之を待つこと須臾せん」と。須臾にして、豹曰く、「廷掾起て。状は河伯の客を留むることの久しきがごとし。若(なんぢ)ら皆罷め去りて帰れ」と。鄴の吏民大いに驚恐し、是より以後、敢へて復た河伯の為に婦を娶ると言はず。西門豹即ち民を発して十二渠を鑿ち、河水を引きて民田に灌ぐ。田皆溉(そそ)がる。其の時に当たりて、民、渠を治むること少しく煩苦し、欲せず。豹曰く、「民は与に成るを楽しむ可きも、与に始めを慮る可からず。今、父老子弟我を患苦すと雖も、然れども百歳の後、父老子孫をして我が言を思はしめんことを期す」と。今に至るまで皆水利を得、民人以て給足して富む。十二渠は馳道を経絶す。漢の立つに到り、而して長吏以為へらく、十二渠の橋は馳道を絶ち、相比近して不可なりと。渠水を合はせ、馳道に至るに且(およ)びて三渠を合はせて一橋と為さんと欲す。鄴の民人父老、肯へて長吏に聴かず。以為へらく、西門君の為す所なり、賢君の法式は更む可からずと。長吏終に聴きて之を置く。故に西門豹鄴の令と為り、名は天下に聞こえ、沢は後世に流れ、絶え已む時無し。幾ど賢大夫に非ずと謂ふ可けんや。伝に曰く、「子産鄭を治め、民欺く能はず。子賤単父を治め、民欺くに忍びず。西門豹鄴を治め、民敢へて欺かず」と。三子の才能、誰か最も賢なるや。治を弁ずる者は当に能く之を別つべし。
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『驢鞍橋』卷上夜話に曰く、我仏法興隆の御政道、御公儀へ訟へ奉り度思へども、未だ天道に不許、先つ先祖先達血の涙を流し、修し行し残し置かれたる処の仏法、御下知なき故に廃れ果り、是れを御捨てなされ、御外護に預からさる事、我等の迷惑是れにすぎす。兎角御下知無くては仏法正理なるべからす。偏に仏法正理なるやうに御下知仰き奉ると、指出□□御訴訟申上度事大願也。

人生を、一行の式にしてみた。
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