宋名臣言行録 / 後集巻十四・陳無巳
陳履常居都下逾年未嘗一至貴人之門章子厚欲一見終不可得中丞傅欽之侍郎孫莘老薦之軾亦掛名其間㑹朝廷多知履常者故得一官
新字:陳履常居都下逾年未嘗一至貴人之門章子厚欲一見終不可得中丞傅欽之侍郎孫莘老薦之軾亦掛名其間会朝廷多知履常者故得一官
書き下し
陳履常都下に居ること年を逾ゆるも、未だ嘗て一たびも貴人の門に至らず。章子厚一たび見んと欲するも、終に得可からず。中丞傅欽之・侍郎孫莘老之を薦む。軾も亦た名を其の間に掛く。會ミ朝廷に履常を知る者多し。故に一官を得たり。
現代語訳
陳師道は都に住むこと一年を超えたが、いまだかつて一度も貴人の門に行ったことがなかった。章惇が一度会いたいと望んだが、ついに実現しなかった。御史中丞の傅堯兪と侍郎の孫覚がこれを推薦した。私(蘇軾)もその間に名を連ねた。ちょうど朝廷には陳師道を知る者が多かった。だから一つの官を得たのである。
解説
蘇軾が李廌に宛てた手紙のなかの一節です。まず事実だけが置かれます。**都に住むこと一年を超えたが、いまだかつて一度も貴人の門に行ったことがなかった。**当時の宰相からの誘いも通っていません。**章惇が一度会いたいと望んだが、ついに実現しなかった。**そして官職に就いた経緯が続きます。自分から行かなかった人が、行かなかったことによって知られました。**ちょうど朝廷には陳師道を知る者が多かった。だから一つの官を得たのである。**
この章句が説くこと
陳履常都下に居ること年を逾ゆるも未だ嘗て一たびも貴人の門に至らず章子厚一たび見んと欲するも終に得可からず中丞傅欽之・侍郎孫莘老之を薦む会ミ朝廷に履常を知る者多し故に一官を得たり不訪推挙
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