宋名臣言行録 / 後集巻七・司馬光
上謂晦叔曰司馬光方直其如迂闊何晦叔曰孔子上聖子路猶謂之迂孟軻大賢時人亦謂之迂闊况光豈免此名大抵慮事深逺則近於迂矣願陛下更察之
新字:上謂晦叔曰司馬光方直其如迂闊何晦叔曰孔子上聖子路猶謂之迂孟軻大賢時人亦謂之迂闊況光豈免此名大抵慮事深遠則近於迂矣願陛下更察之
書き下し
上晦叔に謂いて曰く、司馬光は方直なり。其の迂闊なるを如何せんと。晦叔曰く、孔子は上聖なるも子路すら猶お之を迂と謂う。孟軻は大賢なるも時人も亦た之を迂闊と謂う。况んや光、豈に此の名を免れんや。大抵事を慮ること深遠なれば則ち迂に近し。願わくは陛下更に之を察せよと。
現代語訳
天子は呂公著に言った。「司馬光は真っすぐである。ただ、その迂遠さをどうしたものか」。呂公著は言った。「孔子は最高の聖人でありながら、子路でさえこれを迂遠だと言いました。孟子は大賢でありながら、当時の人もまたこれを迂闊だと言いました。まして光が、どうしてこの名を免れましょうか。おおむね、事を慮ることが深く遠ければ、迂に近く見えるものです。どうか陛下、なおよくお調べください」。
解説
「迂遠だ」という評は、実務の場でいちばん効く否定です。呂公著は打ち消していません。先例を二つ並べただけです。**孔子は最高の聖人でありながら、子路でさえこれを迂遠だと言いました。孟子は大賢でありながら、当時の人もまたこれを迂闊だと言いました。**弟子にすら、当時の人にすら、そう見えていた。そして理由を一行にまとめました。**事を慮ることが深く遠ければ、迂に近く見えるものです。**
この章句が説くこと
司馬光は方直なり其の迂闊なるを如何せん孔子は上聖なるも子路すら猶お之を迂と謂う孟軻は大賢なるも時人も亦た之を迂闊と謂う大抵事を慮ること深遠なれば則ち迂に近し迂闊深慮
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