宋名臣言行録 / 前集巻一・趙普
普秉政江南後主以銀五萬兩遺普普白太祖太祖曰此不可不受但以書答謝少賂其來使可也既而後主遣弟從善入貢常賜外宻賚白金如遺普之數江南君臣始震駭上之偉度
新字:普秉政江南後主以銀五万両遺普普白太祖太祖曰此不可不受但以書答謝少賂其来使可也既而後主遣弟従善入貢常賜外密賚白金如遺普之数江南君臣始震駭上之偉度
書き下し
普政を秉る。江南の後主、銀五萬兩を以て普に遺る。普太祖に白す。太祖曰く、此れ受けざる可からず。但だ書を以て答謝し、少しく其の來使に賂すれば可なりと。既にして後主、弟從善を遣わして入貢せしむ。常賜の外、宻かに白金を賚うこと普に遺りしの數の如し。江南の君臣、始めて上の偉度に震駭す。
現代語訳
趙普が政を執っていたとき、江南の後主が銀五万両を趙普に贈った。趙普はそのことを太祖に申し上げた。太祖は言った。「これは受けないわけにいかない。ただ書面で礼を述べ、その使者に少し包んでやればよい」。ほどなく後主が弟の従善を遣わして貢ぎ物を納めさせた。太祖は通例の下賜のほかに、ひそかに白金を与えた。その額は、後主が趙普に贈ったのと同じであった。江南の君臣は、はじめて太祖の度量に震え上がった。
解説
贈賄を受けさせておいて、同じ額を相手の使者に持たせて帰した話です。受けるなと言わず、受けよと言う。そのうえで相手が使者を寄こしたとき、贈られたのと同じ額を黙って与えました。断れば角が立ち、受ければ握られる。どちらも避けたうえで、こちらは金額まで把握していると相手に伝わります。江南の君臣が震え上がったのは、寛大さにではなく、見透かされていることにでした。楊億『談苑』による、と注があります。
この章句が説くこと
此れ受けざる可からず但だ書を以て答謝せよ密かに白金を賚うこと普に遺りしの数の如し宻かに白金を賚うこと普に遺りしの数の如し江南の君臣始めて上の偉度に震駭す贈答返礼
関連する章句
-
史記 張耳陳余列伝人をして陳王に報ぜしむ。陳王大いに怒り、尽く武臣等の家を族し、而して兵を発して趙を撃たんと欲す。陳王の相国房君諫めて曰く、「秦未だ亡びずして武臣等の家を誅せば、此れ又一秦を生ずるなり。因りて之を賀し、急ぎ兵を引きて西のかた秦を撃たしむるに如かず」と。陳王之を然りとし、其の計に従ひ、武臣等の家を宮中に徙系し、張耳の子敖を封じて成都君と為す。陳王使者をして趙を賀せしめ、趣やかに兵を発して西のかた関に入らしむ。張耳・陳餘武臣に説きて曰く、「王の趙に王たるは、楚の意に非ず。特だ計を以て王を賀するのみ。楚已に秦を滅ぼさば、必ず兵を趙に加へん。願はくは王西に兵する毋く、北のかた燕・代を徇へ、南のかた河内を収めて以て自ら広くせよ。趙南に大河に拠り、北に燕・代有らば、楚秦に勝つと雖も、必ず敢て趙を制せず」と。趙王以て然りと為し、因りて西に兵せず、而して韓広をして燕を略し、李良をして常山を略し、張黶をして上党を略せしむ。韓広燕に至る。燕人因りて広を立てて燕王と為す。趙王乃ち張耳・陳餘と北のかた地を燕の界に略す。趙王間に出で、燕軍の得る所と為る。燕将之を囚へ、与に趙の地の半ばを分かたんと欲し、乃ち王を帰さんとす。使者往けば、燕輒ち之を殺して以て地を求む。張耳・陳餘之を患ふ。廝養の卒有りて其の舎中に謝して曰く、「吾公の為に燕に説き、趙王と載せて帰らん」と。舎中皆笑ひて曰く、「使者往くこと十余輩、輒ち死す。若何を以て能く王を得ん」と。乃ち燕の壁に走る。燕将之を見る。燕将に問ひて曰く、「臣が何をか欲するを知るか」と。燕将曰く、「若は趙王を得んと欲するのみ」と。曰く、「君は張耳・陳餘の何如なる人なるかを知るか」と。燕将曰く、「賢人なり」と。曰く、「其の志の何をか欲するかを知るか」と。曰く、「其の王を得んと欲するのみ」と。趙の養卒乃ち笑ひて曰く、「君は未だ此の両人の欲する所を知らざるなり。夫れ武臣・張耳・陳餘は馬箠を杖つきて趙の数十城を下す。此れ亦各々南面して王たらんと欲す。豈に卿相と為りて己を終へんと欲せんや。
-
『春秋左氏伝』僖公三十三年 子上、泜水に退く晉・陳・鄭許を伐つ、其の楚に貳するを討つなり。楚の令尹子上陳・蔡を侵す。陳・蔡成す。遂に鄭を伐ち、將に公子瑕を納れんとす。桔柣(きつてつ)の門に門す。瑕周氏の汪(わう)に覆る。外僕の髡屯(こんとん)之を禽へて以って獻ず。文夫人斂めて之を鄶城の下に葬る。晉の陽處父蔡を侵す。楚の子上之を救ひ、晉の師と泜(ち)を夾みて軍す。陽子之を患ひ、子上に謂はしめて曰く、「吾之を聞く、『文は順を犯さず、武は敵を違けず』と。子若し戰はんと欲せば、則ち吾退舍せん。子濟りて陳せよ。遲速唯だ命のままにせん。然らずんば、我を紓(ゆる)せ。師を老(つか)らせ財を費やすも、亦た益無きなり」と。乃ち駕して以って待つ。子上涉らんと欲す。大孫伯曰く、「不可なり。晉人信無し。半ば涉りて我に薄らば、悔い敗るとも何ぞ及ばん。之を紓すに如かず」と。乃ち退舍す。陽子宣言して曰く、「楚の師遁れたり」と。遂に歸る。楚の師も亦た歸る。大子商臣子上を譖(しん)して曰く、「晉の賂を受けて之を辟く、楚の恥なり。罪焉より大なるは莫し」と。王子上を殺す。僖公を葬る。緩なり。主を作る、禮に非ざるなり。凡そ君薨ずれば、卒哭して祔(ふ)し、祔して主を作り、特に主に祀り、烝・嘗・禘は廟に於いてす。
-
史記 孟嘗君列伝斉王、秦・楚の毀りに惑ひ、以為へらく孟嘗君は名その主より高くして斉国の権を擅にすと。遂に孟嘗君を廃す。諸客孟嘗君の廃せらるるを見て、皆去る。馮驩曰く、「臣に車一乗を借せ、以て秦に入るべき者、必ず君をして国に重くして奉邑益々広からしめん、可なるか」と。孟嘗君乃ち車幣を約してこれを遣る。馮驩乃ち西して秦王に説きて曰く、「天下の游士の軾に馮り靷を結びて西して秦に入る者は、秦を彊くして斉を弱めんと欲せざるは無し。軾に馮り靷を結びて東して斉に入る者は、斉を彊くして秦を弱めんと欲せざるは無し。此れ雄雌の国なり、勢ひ両立して雄たらず、雄たる者は天下を得ん」と。秦王跽きてこれに問ひて曰く、「何を以てせば秦をして雌と為ること無からしめて可ならん」と。馮驩曰く、「王もまた斉の孟嘗君を廃せるを知るか」と。秦王曰く、「これを聞く」と。馮驩曰く、「斉をして天下に重からしむる者は、孟嘗君なり。今、斉王毀りを以てこれを廃す、その心怨み、必ず斉に背かん。斉に背きて秦に入らば、則ち斉国の情、人事の誠、尽くこれを秦に委ね、斉の地得べきなり、豈に直だに雄たるのみならんや。君、急ぎ使ひをして幣を載せて陰かに孟嘗君を迎へしめよ、時を失ふべからざるなり。如し斉覚悟する有りて、また孟嘗君を用ひば、則ち雌雄の在る所未だ知るべからざるなり」と。秦王大いに悦び、乃ち車十乗・黄金百鎰を遣りて以て孟嘗君を迎へしむ。馮驩辞して以て先に行き、斉に至り、斉王に説きて曰く、「天下の游士の軾に馮り靷を結びて東して斉に入る者は、斉を彊くして秦を弱めんと欲せざる者は無し。軾に馮り靷を結びて西して秦に入る者は、秦を彊くして斉を弱めんと欲せざる者は無し。夫れ秦・斉は雄雌の国なり、秦彊ければ則ち斉弱し、此れ勢ひ両雄ならず。
-
孫子・始計篇利にしてこれを誘い、乱にしてこれを取り、実にしてこれに備え、強にしてこれを避け、怒にしてこれを撓し、卑にしてこれを驕らしめ、佚にしてこれを労し、親にしてこれを離す。
-
史記 匈奴列伝故約は、漢常に翁主を遣はし、繒絮食物を給すること品有り、以て和親す。而して匈奴も亦辺を擾さず。今乃ち古に反し、吾が太子をして質と為さしめんと欲す。幾ど無からん」と。匈奴の俗、漢の使の中貴人に非ざるを見れば、其の儒先なるは、以為へらく説かんと欲すと、其の弁を折く。其の少年なるは、以為へらく刺さんと欲すと、其の気を折く。漢の使匈奴に入る毎に、匈奴輒ち報償す。漢匈奴の使を留むれば、匈奴も亦漢の使を留め、必ず当たるを得て乃ち肯へて止む。楊信既に帰る。漢王烏を使はす。而して単于復た甘言を肴して、多く漢の財物を得んと欲し、紿きて王烏に謂ひて曰く、「吾漢に入りて天子に見え、面相約して兄弟と為らんと欲す」と。王烏帰りて漢に報ず。漢単于の為に邸を長安に築く。匈奴曰く、「漢の貴人の使を得るに非ずんば、吾与に誠語せず」と。匈奴其の貴人をして漢に至らしむ。病む。漢薬を予へて、之を愈やさんと欲するも、不幸にして死す。而して漢の使路充国二千石の印綬を佩びて往きて使ひし、因りて其の喪を送り、厚く葬ること数千金に直り、曰く「此れ漢の貴人なり」と。単于以為へらく漢吾が貴使者を殺せりと。乃ち路充国を留めて帰さず。諸々の言ふ所の者は、単于特に空しく王烏を紿くのみにして、殊に漢に入り及び太子を遣はして来り質たらしむるに意無し。是に於て匈奴数々奇兵をして辺を侵犯せしむ。漢乃ち郭昌を拝して抜胡将軍と為し、及び浞野侯朔方以東に屯して、胡に備ふ。路充国匈奴に留まること三歳、単于死す。烏維単于立ちて十歳にして死し、子烏師廬立ちて単于と為る。年少く、号して児単于と為す。是の歳は元封六年なり。此より後、単于益々西北し、左方の兵は雲中に直り、右方は酒泉・燉煌郡に直る。児単于立ち、漢両使者をして、一は単于を弔ひ、一は右賢王を弔はしめ、以て其の国を乖かしめんと欲す。使者匈奴に入る。匈奴悉く将ゐて単于に致す。単于怒りて尽く漢の使を留む。
-
史記 晋世家二月辛丑、咎犯秦・晋の大夫と郇に盟ふ。壬寅、重耳晋の師に入る。丙午、曲沃に入る。丁未、武宮に朝し、即位して晋君と為る。是を文公と為す。群臣皆往く。懐公圉高梁に奔る。戊申、人をして懐公を殺さしむ。懐公の故の大臣呂省・郤芮本より文公に附かず。文公立ち、誅せられんことを恐れ、乃ち其の徒と謀りて公宮を焼き、文公を殺さんと欲す。文公知らず。始め嘗て文公を殺さんと欲せし宦者履鞮其の謀を知り、以て文公に告げて、前の罪を解かんと欲し、文公に見えんことを求む。文公見えず、人をして譲めしめて曰く、「蒲城の事、女予が袪を斬る。其の後我狄君に従ひて猟す。女恵公の為に来たりて我を殺さんことを求む。恵公女と期するに三日にして至れとす。而るに女一日にして至る。何ぞ速やかなるや。女其れ之を念へ」と。宦者曰く、「臣は刀鋸の余なり。敢て二心を以て君に事へ主に倍かず。故に罪を君に得たり。君已に国に反る。其れ蒲・翟無からんや。且つ管仲鉤を射て、桓公以て覇たり。今刑余の人事を以て告ぐるも君見えずんば、禍又且に及ばんとす」と。是に於て之に見ゆ。遂に呂・郤等を以て文公に告ぐ。文公呂・郤を召さんと欲す。呂・郤等は党多し。文公初めて国に入り、国人の己を売らんことを恐れ、乃ち微行を為し、秦の繆公に王城に会す。国人知る莫し。三月己丑、呂・郤等果たして反し、公宮を焚くも、文公を得ず。文公の衛徒与に戦ふ。呂・郤等兵を引きて奔らんと欲す。秦の繆公呂・郤等を誘ひ、之を河上に殺す。晋国復して文公帰るを得たり。夏、夫人を秦に迎ふ。秦の文公に妻す所の者卒に夫人と為る。秦三千人を送りて衛と為し、以て晋の乱に備ふ。文公政を修め、恵みを百姓に施す。従亡の者及び功臣を賞し、大なる者は邑を封じ、小なる者は爵を尊くす。未だ尽くは賞を行はざるに、周の襄王弟帯の難を以て出でて鄭の地に居り、来たりて急を晋に告ぐ。晋初めて定まり、兵を発せんと欲するも、他の乱の起こらんことを恐る。是を以て従亡を賞するに未だ隠者介子推に至らず。推も亦た禄を言はず、禄も亦た及ばず。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る