宋名臣言行録 / 後集巻二・歐陽修
公平生不甚留意禮經嘗與祖父說濮議事自云脩平生何嘗讀儀禮偶一日至子弟書院中几間有之因取讀見為人後者為其父齊衰杖期云云其言與脩意合由是破諸異議自謂得之多矣
新字:公平生不甚留意礼経嘗与祖父説濮議事自云脩平生何嘗読儀礼偶一日至子弟書院中几間有之因取読見為人後者為其父斉衰杖期云云其言与脩意合由是破諸異議自謂得之多矣
書き下し
公平生甚だしくは禮經に留意せず。嘗て祖父と濮議の事を說く。自ら云う、脩平生何ぞ嘗て儀禮を讀まんや。偶ま一日子弟の書院中に至るに、几間に之有り。因りて取りて讀む。人の後と爲る者は其の父の爲に齊衰杖期すと云云を見る。其の言、脩の意と合う。是に由りて諸ミの異議を破る。自ら之を得ること多しと謂うと。
現代語訳
欧陽脩は日ごろ、それほど礼の経典に注意を払っていなかった。かつて私の祖父と濮議のことを話した。自ら言った。「脩は生涯、いったい『儀礼』など読んだことがあろうか。たまたまある日、子弟の書斎に行ったところ、机のあいだにそれがあった。そこで取って読んだ。人の後継ぎとなった者は、その実の父のために斉衰杖期の喪に服する、という一節を見た。その言葉は脩の考えと合った。これによってさまざまな異論を打ち破った。われながら、ずいぶん拾い物をしたと思う」。
解説
濮議は礼制の大論争でした。その中心にいた人が、後になって打ち明けた話です。**脩は生涯、いったい『儀礼』など読んだことがあろうか。**専門の書を読まないまま論じていた。そして決め手は偶然でした。**たまたまある日、子弟の書斎に行ったところ、机のあいだにそれがあった。**開いてみたら、自分の主張と一致する条文があった。**これによってさまざまな異論を打ち破った。**論争に勝った理由が、蓄積ではなく偶然の一冊だった、と本人が語っている。隠さないところがこの人らしい。
この章句が説くこと
公平生甚だしくは礼経に留意せず脩平生何ぞ嘗て儀礼を読まんや偶ま一日子弟の書院中に至るに几間に之有り是に由りて諸ミの異議を破る自ら之を得ること多しと謂う専門偶然
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