宋名臣言行録 / 後集巻十三・陳瓘
初蔡京為翰林學士承㫖以辭命為職潛姦隠慝未形於事公於是時力言京不可用用之必為腹心患聞者往往甚其言已而怙寵妄作悉如公言於是人始服公為蓍□也昔王安石參大政士大夫相慶於朝吕獻可獨抗章論之雖溫公猶以為太遽未㡬變更祖宗故事流毒至今未殄也故溫公每謂人曰獻可之先見予所不及余以謂公之於京言之於未用之前獻可於文公論之於既用之後則公之先見於獻可有光矣(□
新字:初蔡京為翰林学士承旨以辞命為職潜姦隠慝未形於事公於是時力言京不可用用之必為腹心患聞者往往甚其言已而怙寵妄作悉如公言於是人始服公為蓍□也昔王安石参大政士大夫相慶於朝呂献可独抗章論之雖温公猶以為太遽未㡬変更祖宗故事流毒至今未殄也故温公毎謂人曰献可之先見予所不及余以謂公之於京言之於未用之前献可於文公論之於既用之後則公之先見於献可有光矣(□
書き下し
初め蔡京翰林學士承旨と爲り、辭命を以て職と爲す。潛かなる姦、隠れたる慝、未だ事に形われず。公是の時に於いて力めて京の用う可からざるを言う。之を用うれば必ず腹心の患を爲さん、と。聞く者往往にして其の言を甚しとす。已にして寵を怙み妄りに作すこと、悉く公の言の如し。是に於いて人始めて公の蓍□爲るに服するなり。昔王安石大政に參ず。士大夫相い朝に慶す。呂獻可獨り章を抗げて之を論ず。温公と雖も猶お以て太だ遽なりと爲す。未だ幾ばくならずして祖宗の故事を變更す。毒を流して今に至るまで未だ殄びざるなり。故に温公每に人に謂いて曰く、獻可の先見は予の及ばざる所なり、と。余以謂えらく、公の京に於けるは、之を未だ用いざるの前に言う。獻可の文公に於けるは、之を既に用うるの後に論ず。則ち公の先見は、獻可に於いて光有り。
現代語訳
初め、蔡京は翰林学士承旨となり、詔勅の起草を職としていた。ひそかな悪も隠れた邪も、まだ事に表れていなかった。陳瓘はこのときに力を尽くして、蔡京を用いてはならないと述べた。これを用いれば必ず腹心の患いとなる、と。聞いた者はしばしば、それは言いすぎだとした。やがて寵愛を頼んで勝手に振る舞うことは、ことごとく陳瓘の言ったとおりになった。そこで人々ははじめて、陳瓘が□〔一字を欠く〕蓍のように先を占う人であることに服した。昔、王安石が政権に加わった。士大夫たちは朝廷で互いに祝った。呂誨だけが上奏文を掲げてこれを論じた。司馬光でさえ、それは急すぎると考えた。ほどなく祖宗の先例が変更された。毒が流れて今に至るまで絶えていない。だから司馬光はいつも人に言った。「献可(呂誨)の先見は、私の及ばないところだ」。私が思うに、陳瓘が蔡京についてしたのは、まだ用いられる前に言ったことである。呂誨が王安石についてしたのは、すでに用いられた後に論じたことである。とすれば、陳瓘の先見は、呂誨と比べてもなお光がある。
解説
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『宋名臣言行録』後集巻十三・陳瓘公蔡氏に緣りて罪を得たりと雖も、而も首として私史を論じ、力めて王氏を排す。王・蔡の黨、薛昂・蹇序辰・何執中・鄧洵仁・洵武・蔡嶷の徒の如きは、皆な當時力を協せて排陷し公を殺さんと欲せし者なり。亦た獨り蔡京兄弟のみに非ざるなり。蔡嶷と公とは初め相い識らず。公宰相に書を上りて海陵に謫守せらる。嶷太學生爲り、長書を以て公に遺り、事を論じて公の議に合す。公の諫疏は婉にして理有り、陸宣公に似たり。剛にして撓まざるは狄梁公に似たり。文章淵源、正道を發明するは、則ち韓文公其の人なり、と謂う。次年に至り、嶷對策を以て大魁と爲る。陳ぶる所の時務、前書と頓に異なる。是に於いて愧悔して公を殺して以て口を滅せんと欲し、密かに京黨を贊けて力を出だすこと尤も甚だし。
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『宋名臣言行録』後集巻五・吕誨權御史中丞たる時、侍臣の官を棄てて家居する者有り。王安石なり。朝野其の材を稱す。天子引きて大政に參ぜしむ。衆皆人を得たるを喜ぶ。獻可獨り以て然らずと爲す。居ること無何、衆を棄て己に任じ、常を厭い奇を爲し、多く祖宗の法を變じ、專ら汲汲として民財を歛む。愛信して引拔する所、時に或いは其の人に非ず。天下大いに失望す。獻可屢ミ爭うも得る能わず。乃ち抗章して悉く其の過失を條し、且つ曰く、天下の蒼生を誤るは必ず此の人なり。如し久しく廟堂に居らば、必ず安靜の理無からんと。上使いを遣わして諭解す。執ること之れ愈ミ堅し。乃ち中丞を罷めて出でて鄧州を知す。
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『宋名臣言行録』後集巻十三・陳瓘公朝會に因りて、蔡京の日を視ること久しくして瞬かざるを見る。嘗て以て人に語りて曰く、京の精神此くの如し。他日必ず貴からん。然れども其の稟賦を矜り、敢えて太陽に敵す。吾恐る、此の人志を得ば、必ず私を擅にし欲を逞しくし、君を無みして自ら肆にせんことを、と。尋いで諫省に居り、遂に其の惡を攻む。京公の言を聞き、親しむ所に因りて以て自ら解き、且つ情懇を致して甘言を以て公を啖わす。公曰く、杜詩に所謂「人を射んとせば先ず馬を射よ、賊を擒えんとせば須らく王を擒うべし」。已むを得ざるなり、と。是に於いて之を攻むること愈ミ力む。
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『宋名臣言行録』後集巻十三・陳瓘嘗て別試所の主文と爲る。林自蔡卞に謂いて曰く、聞くならく、陳瓘は盡く史學を取りて經に通ずるの士を黜けんと欲す。意は國是を沮壞して荊公の學を動搖せしめんと欲するなり、と。卞既に怒りを積み、此に因りて公を害し、遂に史學を禁絶せんことを謀る。計畫已に定まる。唯だ公の取る所の士を候ちて、疵を求め説を立てて之を行わんとするのみ。公固より其の此くの如きを預料す。乃ち前の五名に於いて悉く經を談じ、及び純ら王氏の學を用うる者を取る。卞發する無し。然れども五名の下は往往にして皆な博洽稽古の士なり。公嘗て曰く、當時若し矯揉無くんば、則ち勢い必ず相い激し、史學往往にして遂に廢せん。故に時に隨うは時を救う所以なり。必ずしも快を目前に取らざるなり、と。
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『宋名臣言行録』後集巻十三・陳瓘公謂えらく、天下の事は變故常無し。唯だ往事を稽攷すれば、則ち以て其の故を知りて變に應ずる有り。王氏の學は乃ち史學を廢絶して虚無の言を咀嚼せんと欲す。其の事晉と異なる無し。將に必ず荒唐を以て天下を亂さんとす、と。故に蔡京を彈ずる疏文に曰く有り、「史學を絶滅すること一に王衍に似たり。南を重んじ北を輕んじ、分裂萌す有り」と。今に逮ぶこと三十餘年にして、言う所驗ならざる無し。
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『宋名臣言行録』後集巻十三・陳瓘公智明らかに慮り遠く、易數に通ず。靖康の變故・隆祐の垂簾・國家中興の事の如きは、往往にして之を預言す。士大夫の間、親しく聞く者有り。