宋名臣言行録 / 前集巻十・孫復
先生少舉進士不中退居泰山之陽學春秋著尊王發㣲魯多學者其尤賢而有道者石介自介而下皆以弟子事之孔道輔聞先生之風就見之介執杖履侍左右先生坐則立升降拜則扶之及其徃謝也亦然魯人由是始識師弟子之禮莫不嗟嘆之
新字:先生少舉進士不中退居泰山之陽学春秋著尊王発㣲魯多学者其尤賢而有道者石介自介而下皆以弟子事之孔道輔聞先生之風就見之介執杖履侍左右先生坐則立升降拝則扶之及其往謝也亦然魯人由是始識師弟子之礼莫不嗟嘆之
書き下し
先生少くして進士に舉げらるるも中らず、泰山の陽に退居し、春秋を學びて尊王發㣲を著す。魯に學者多く、其の尤も賢にして道有る者は石介なり。介より下、皆弟子を以て之に事う。孔道輔、先生の風を聞きて就きて之を見る。介、杖履を執りて左右に侍り、先生坐すれば則ち立ち、升降拜すれば則ち之を扶く。其の徃きて謝するに及びても亦た然り。魯人是に由りて始めて師弟子の禮を識り、嗟嘆せざる莫し。
現代語訳
孫復は若いころ進士に挙げられたが及第せず、泰山の南に退いて住み、『春秋』を学んで『尊王発微』を著した。魯の地には学者が多かったが、そのなかで最も賢く道のある者が石介である。石介から下、みな弟子として孫復に仕えた。孔道輔が孫復の評判を聞いて訪ねて来たとき、石介は杖と履を捧げ持って傍らに侍し、孫復が座れば立ち、昇り降りして拝すれば手を添えて支えた。孔道輔を送るときも同じだった。魯の人々はこれによって初めて師と弟子の礼というものを知り、嘆じない者はなかった。
解説
孫復(九九二〜一〇五七)、泰山先生。胡瑗と同じく宋初三先生の一人で、六五〇の条で泰山にこもっていた三人のもう一人です。この条の要は師ではなく弟子のほうにあります。石介はすでに名の通った学者でした。**その人が杖と履を捧げ持って傍らに立ち、師が座れば立ち、昇り降りして拝すれば手を添えた。**それを見て、**魯の人々は初めて師と弟子の礼というものを知った。**説くのではなく、一人がやって見せたことで土地に伝わっています。
この章句が説くこと
泰山の陽に退居し春秋を学びて尊王発㣲を著す介杖履を執りて左右に侍り先生坐すれば則ち立つ魯人是に由りて始めて師弟子の礼を識る師弟礼範
関連する章句
-
孔子家語・致思孔子伯魚に謂いて曰わく、「鯉よ、吾聞く、以て人と終日倦まざる者は、其れ唯だ学のみと。其の容体は観るに足らず、其の勇力は憚るに足らず、其の先祖は称するに足らず、其の族姓は道うに足らず。終わりて大名有り、以て四方に顕聞し、声を後裔に流す者は、豈に学の効に非ずや。故に君子は学ばずんばある可からず。其の容は飭らずんばある可からず、飭らざれば類無く、類無ければ親を失い、親を失えば忠ならず、忠ならざれば礼を失い、礼を失えば立たず。夫れ遠くして光有る者は、飭なり。近くして愈々明らかなる者は、学なり。之を汙池に譬うるに、水潦焉に注ぎ、雚葦焉に生ず。之を観る者有りと雖も、孰か其の源を知らんや。」
-
荀子・勧学篇学は悪くにか始まり、悪くにか終わる。曰く、其の数は則ち経を誦するに始まり、礼を読むに終わる。其の義は則ち士為るに始まり、聖人為るに終わる。真に積み力むること久しければ則ち入る。学は没するに至りて後に止むなり。故に学の数は終わり有るも、其の義の若きは則ち須臾も舎つ可からざるなり。之を為すは人なり、之を舎つるは禽獣なり。故に書は政事の紀なり、詩は中声の止まる所なり、礼は法の大分、類の綱紀なり。故に学は礼に至りて止まる。夫れ是れを之れ道徳の極と謂う。礼の敬文、楽の中和、詩書の博、春秋の微、天地の間に在る者畢くせり。
-
論語・八佾篇子曰く、君に事えて礼を尽くせば、人以て諂いと為すなり。
-
論語・八佾篇孔子季氏を謂う、「八佾庭に舞わす。是れをも忍ぶ可くんば、孰れをか忍ぶ可からざらん。」
-
論語・学而篇有子曰く、「礼の用は和を貴しと為す。先王の道も斯を美と為す。小大之に由れども、行われざる所有り。和を知りて和すれども、礼を以て之を節せざれば、亦行う可からざるなり。」
-
論語・八佾篇子、太廟に入り、事毎に問う。或曰く、『誰か鄒人の子を礼を知ると謂うや、太廟に入りて事毎に問う。』子これを聞きて曰く、『是れ礼なり。』