宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
英宗初立外六班有謀變者或言於公公曰事不成不過族耳吾不懼也既而卒無事英宗即政公以其勇智不世出可與有為乃考尋中書祖宗御批得百餘畨俱闕畧不全補綴僅能識其字皆經國長筭大䇿如取太原伐江南伐犬戎付中書之類編成十餘軸英宗一見之不覺避御座是時同列皆謂公有不言教萬乘事後上僊公哭之慟曰何事不可為
新字:英宗初立外六班有謀変者或言於公公曰事不成不過族耳吾不懼也既而卒無事英宗即政公以其勇智不世出可与有為乃考尋中書祖宗御批得百余畨倶闕畧不全補綴僅能識其字皆経国長筭大策如取太原伐江南伐犬戎付中書之類編成十余軸英宗一見之不覚避御座是時同列皆謂公有不言教万乗事後上僊公哭之慟曰何事不可為
書き下し
英宗初め立つ。外六班に變を謀る者有り。或るひと公に言う。公曰く、事成らずんば族せらるるに過ぎざるのみ。吾懼れずと。既にして卒に事無し。英宗政に即くや、公其の勇智の世に出でざるを以て、與に爲す有る可しとし、乃ち中書を考尋して祖宗の御批百餘番を得たり。俱に闕略して全からず。補綴して僅かに能く其の字を識る。皆經國の長筭大策なり。太原を取り、江南を伐ち、犬戎を伐つを中書に付す之類の如し。編みて十餘軸と成す。英宗一たび之を見て、覺えず御座を避く。是の時同列皆謂う、公に言わずして萬乘を教うる事有りと。後、上僊するや、公之を哭して慟して曰く、何事か爲す可からざらんやと。
現代語訳
英宗が即位したはじめ、外の六班に謀反を企てる者がいた。ある人が韓琦に告げた。韓琦は言った。「事がしくじれば、一族が滅ぼされるだけのことだ。私は恐れない」。やがて結局何事もなかった。英宗が親政するようになると、韓琦はその勇と智が世に出るものではないと見て、ともに事を成せると考え、中書省を調べて祖宗の直筆の裁可を百余通見つけた。どれも欠けて不完全であった。継ぎ合わせて、ようやくその字が読める程度だった。いずれも国を治める長い計と大きな策であった。太原を取ること、江南を討つこと、犬戎を討つことを中書に付す、といった類である。編んで十余巻とした。英宗はひとめ見て、思わず御座を離れた。このとき同列の者はみな言った。「公には、言葉に出さずに天子を教える技がある」。のちに崩御したとき、韓琦は哭して身をよじり、言った。「何事が成せなかったであろうに」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・述而篇子、顔淵に謂いて曰く、「之を用うれば則ち行い、之を舎つれば則ち蔵る。惟だ我と爾と是れ有るかな。」子路曰く、「子、三軍を行らば、則ち誰と与にせん。」子曰く、「暴虎馮河、死して悔い無き者は、吾与にせざるなり。必ずや事に臨みて懼れ、謀を好みて成す者なり。」
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説苑・立節士君子の勇有りて行に果なる者、以て節を立て誼を行わずして、妄死非名を以てするは、豈に痛ましからずや。士殺身以て仁を成し、害に触れて以て義を立て、節理に倚りて死地を議せざる有り。故に能く身死して名来世に流る、勇断有るに非ずんば、孰か能く之を行わんや。
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孫子・九地篇吾が士に余財無きは、貨を悪むに非ざるなり。余命無きは、寿を悪むに非ざるなり。令の発するの日、士卒の坐する者は涕襟を沾し、偃臥する者は涙頤に交わる。之を往く所無きに投ずれば、則ち諸・劌の勇なり。
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論語・衛霊公篇子曰く、「賜や、女予を以て多く学びて之を識る者と為すか。」対えて曰く、「然り。非なるか。」曰く、「非なり。予は一以て之を貫く。」
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葉隠・聞書第二古来の勇士は、大かたそげものなり。そげ廻り候(そうろう)気性ゆえ、気力強くして勇気あり。このあたり不審に候て、尋ね候えば、「気力強きゆえ、平生(へいぜい)手荒く、そげ廻り申す」と相見え候。此方(このほう)は気力弱く候ゆえ、そげ候事は成らざるなり。気力は劣り候、人柄は増(まし)に候。勇気は別事なり。此方は無気力ゆえ、おとなしくして、死狂いに劣るべき謂(いわ)れなし。
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論語・微子篇微子これを去り、箕子これに為に奴となり、比干諫めて死す。孔子曰わく、殷に三仁有り。