宋名臣言行録 / 後集巻十二・王巖叟
元祜元年遷左司諌一日並命執政其間有不協士望者公方權給事中即繳録黄并以諌職上疏既而命復下者再遂不由門下省以出公請對言益切退就閤門復上疏云臣為諌官既當言承乏給事又當駁非臣好為髙論喜忤大臣且命令斜出尤損紀綱凡八上章命竟寢
新字:元祜元年遷左司諌一日並命執政其間有不協士望者公方権給事中即繳録黄并以諌職上疏既而命復下者再遂不由門下省以出公請対言益切退就閤門復上疏云臣為諌官既当言承乏給事又当駁非臣好為高論喜忤大臣且命令斜出尤損紀綱凡八上章命竟寝
書き下し
元祐元年、左司諫に遷る。一日執政を並命す。其の間に士望に協わざる者有り。公方に給事中を權む。即ち録黄を繳し、并せて諫職を以て疏を上る。既にして命復た下る者再びなり。遂に門下省に由らずして以て出づ。公對を請いて言うこと益ミ切なり。退きて閤門に就き、復た疏を上りて云う、臣諫官と爲れば既に當に言うべく、乏を承けて給事たれば又た當に駁すべし。臣高論を爲すを好み、大臣に忤らうを喜ぶに非ず。且つ命令の斜めに出づるは、尤も紀綱を損なう、と。凡そ八たび章を上り、命竟に寢む。
現代語訳
元祐元年、左司諫に移った。ある日、執政の任命がまとめて出された。そのなかに士人の期待にかなわない者がいた。王巌叟はちょうど給事中を兼ねていた。ただちに録黄(辞令の草案)を突き返し、あわせて諫官の職として上疏した。まもなく同じ命令が二度下された。ついに門下省を経ずに発出された。王巌叟は面会を願い出て、いっそう切実に述べた。退出して閤門に行き、ふたたび上疏して言った。「臣は諫官である以上、当然申し上げるべきであり、欠員を埋めて給事中である以上、また当然突き返すべきです。臣は高尚な議論を好み、大臣に逆らうのを喜んでいるのではありません。そのうえ、命令が斜めに出てくるのは、とりわけ国家の綱紀を損ないます」。合わせて八度も上奏文を出し、命令はついに取り下げられた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『不動智神妙録』諫言 其二 好む所の病然れば幾千人ありとても、自然の時、主人の用に立つ物は一人も不可有之、彼の一旦気に入りたる無智若輩の悪人は、元より心正しからざる者故、事に臨んて一命を捨てんと思ふ事、努々不可有、心正しからさるものゝ主の用に立ちたる事は、往昔より不承及ところなり、貴殿の弟子を御取立て被成にも、箇様の事有之由、苦々敷存候、是れ皆一片の数奇好む所より其病にひかれ、悪に落入るを知らざるなり、人は知らぬと思へども微より明かなるなしとて、我心に知れは、天地鬼神万民も知るなり、如是して国を保つ、誠に危き事にあらずや、然らば大不忠なりとこそ存候へ、
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史記 季布欒布列伝季布河東の守と為る、孝文の時、人其の賢を言ふ者有り、孝文召し、以て御史大夫と為さんと欲す。復た其の勇にして、酒を使ひて近づき難きを言ふ有り。至り、邸に留まること一月、見えて罷めらる。季布因りて進みて曰く「臣功無くして竊かに寵せられ、罪を河東に待つ。陛下故無くして臣を召す、此れ人必ず臣を以て陛下を欺く者有らん。今臣至るに、事を受くる所無くして、罷め去らしむ、此れ人必ず以て臣を毀る者有らん。夫れ陛下一人の誉を以て臣を召し、一人の毀を以て臣を去らしむ、臣恐らくは天下の識有る者之を聞き以て陛下を闚ふ有らん」と。上黙然として慚ぢ、良久しくして曰く「河東は吾が股肱の郡なり、故に特に君を召せしのみ」と。布辞して官に之く。
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『不動智神妙録』諫言 其二 好む所の病悪と知り止めざるは我好む所の痛みあるゆゑなり、或は色を好むか、奢気随にするか、いかさま心に好む所の働きある故に善人ありとも我気に合はされは善事を用ひず、無智なれども一旦我気に合へば登し用ひ好むゆゑに善人はありても用ゐざれば無きが如し、
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『春秋左氏伝』文公十八年 四凶を去る昔帝鴻氏に不才の子有り、義を掩ひ賊を隱し、好んで凶德を行ひ、醜類惡物、頑嚚(ぐわんぎん)にして友ならず、是れと比周す。天下の民、之を渾敦(こんとん)と謂ふ。少皞氏に不才の子有り、信を毀ち忠を廢し、惡言を崇飾し、譖(しん)を靖(やす)んじ回(くわい)を庸(もち)ゐ、讒を服し慝(とく)を蒐(かく)し、以って盛德を誣(し)ふ。天下の民、之を窮奇と謂ふ。顓頊に不才の子有り、教訓す可からず、話言を知らず、之に告ぐれば則ち頑、之を舍(お)けば則ち嚚、明德に傲很(がうこん)し、以って天常を亂る。天下の民、之を檮杌(たうごつ)と謂ふ。此れ三族なり。世々其の凶を濟し、其の惡名を增し、以って堯に至る。堯去ること能はず。縉雲氏に不才の子有り、飲食に貪り、貨賄に冒(ばう)し、侵欲崇侈、盈厭す可からず。聚斂積實して、紀極を知らず、孤寡に分かたず、窮匱を恤(あはれ)まず。天下の民、以って三凶に比し、之を饕餮(たうてつ)と謂ふ。舜堯に臣たりて、四門に賓し、四凶族の渾敦・窮奇・檮杌・饕餮を流し、諸を四裔に投じ、以って螭魅(ちみ)を禦がしむ。是を以って堯崩じて天下一の如く、心を同じくして舜を戴き、以って天子と為す。其の十六相を舉げ、四凶を去るを以ってなり。故に虞書に舜の功を數へて曰く、「慎みて五典を徽(よ)くす、五典克く從ふ」と、教へに違ふ無きなり。曰く、「百揆に納る、百揆時に序す」と、事を廢する無きなり。曰く、「四門に賓す、四門穆穆たり」と、凶人無きなり。舜大功二十有りて天子と為る。今行父未だ一吉人を獲ずと雖も、一凶を去れり。舜の功に於いて、二十の一なり。庶幾(こひねが)はくは戾(つみ)を免れんか。
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『宋名臣言行録』後集巻一・韓琦右司諫を以て職に供す。上に得失を明らかにし、朝廷の紀綱を正し、忠直に親近して邪佞を放逺せんことを勸む。時に災異數ミ見る。公、災變の屢ミ發するは執政者の才に非ざるに主ると以て、累りに上に言うも未だ納れらるるを見ず。公又た奏して曰く、豈に陛下輔弼を擇びて未だ其の人を得ざるかと。杜衍・范仲淹・孔道輔・宋郊・胥偃の若きは、衆以て忠正の臣と爲す、進擢に備う可し。然らずんば、嘗て用いる所の者、王曾・吕夷簡・蔡齊・宋綬も亦た人の屬望する所なりと。章十たび上るも報ぜられず。公䟽を抗げて出でんことを乞う。上乃ち宰臣王隨・陳堯佐、參政韓億・石中立等を罷む。
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『韓非子』難四第三十九不肖者の主を煬るは、以て明を害するに足らず。今知を加へずして賢者をして己を煬らしむれば、則ち必ず危ふし。或ひと曰く、屈到は芰を嗜み、文王は菖蒲葅を嗜む、正味に非ざるなり、而して二賢之を尚ぶ、味はふ所必ずしも美ならず。晋の霊侯は参無恤を説び、燕噲は子之を賢とす、正士に非ざるなり、而して二君之を尊ぶ、賢とする所必ずしも賢ならざるなり。賢に非ずして賢として之を用ふるは、愛して之を用ふると同じ。賢誠に賢にして之を挙ぐるは、愛する所を用ふると状を異にす。故に楚荘は孫叔を挙げて覇たり、商辛は費仲を用ひて滅ぶ、此れ皆賢とする所を用ひて事相反するなり。燕噲は賢とする所を挙ぐと雖も、而も愛する所を用ふるに同じ、衛奚ぞ距ぞ然らんや。則ち侏儒の未だ見るべからざるなり。君壅がれて其の壅がるるを知らず、已に之を見ての後に其の壅がるるを知る、故に壅臣を退くるは、是れ知を加ふるなり。「知を加へずして賢者をして己を煬らしむれば則ち必ず危ふし」と曰ふも、而るに今以て知を加ふれば、則ち己を煬らしむと雖も、必ず危ふからず。

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