宋名臣言行録 / 前集巻二・錢若水
李繼隆與轉運使盧之翰有隙欲陷之罪乃檄轉運司期八月出塞令辦芻粟轉運司調發方集繼隆復為檄言八月不利出師當更取十月運司遂散芻粟既而復為檄云賊且入塞當以時進軍芻粟即日取辦是時民輸輓者適散倉卒不可復集繼隆遂奏轉運司乏軍興太宗大怒立召中使一人令乘驛馳取轉運使盧之翰竇玭及某人首丞相呂端樞宻使柴禹錫皆不敢言惟若水爭之請先推驗有狀然後行法上大怒拂衣起入禁中二府皆罷獨若水留廷中不去乆之上出詰之曰爾以同州推官再期為樞宻副使朕所以擢用以爾為賢爾乃不才如是邪對曰陛下不知臣無狀使得待罪二府臣當竭愚慮不避死亡補益陛下以報厚恩李繼隆外戚貴重莫比陛下據其一幅奏書誅三轉運使雖有罪天下何由知之鞫驗事狀明白加誅亦何晚焉獻可替否死以守之臣之常分臣未獲死固不敢退上意解乃召呂端等奏請如若水議先令責狀許之三人皆黜為行軍副使既而虜欲入塞事皆虛誕繼隆坐罷招討知秦州
新字:李継隆与転運使盧之翰有隙欲陥之罪乃檄転運司期八月出塞令辦芻粟転運司調発方集継隆復為檄言八月不利出師当更取十月運司遂散芻粟既而復為檄云賊且入塞当以時進軍芻粟即日取辦是時民輸輓者適散倉卒不可復集継隆遂奏転運司乏軍興太宗大怒立召中使一人令乗駅馳取転運使盧之翰竇玭及某人首丞相呂端枢密使柴禹錫皆不敢言惟若水争之請先推験有状然後行法上大怒払衣起入禁中二府皆罷独若水留廷中不去久之上出詰之曰爾以同州推官再期為枢密副使朕所以擢用以爾為賢爾乃不才如是邪対曰陛下不知臣無状使得待罪二府臣当竭愚慮不避死亡補益陛下以報厚恩李継隆外戚貴重莫比陛下拠其一幅奏書誅三転運使雖有罪天下何由知之鞫験事状明白加誅亦何晩焉献可替否死以守之臣之常分臣未獲死固不敢退上意解乃召呂端等奏請如若水議先令責状許之三人皆黜為行軍副使既而虜欲入塞事皆虚誕継隆坐罷招討知秦州
書き下し
李繼隆、轉運使盧之翰と隙有り。之を罪に陷れんと欲す。乃ち轉運司に檄して八月に塞を出づるを期し、芻粟を辦ぜしむ。轉運司調發して方に集まる。繼隆復た檄を為りて言う、八月は師を出だすに利あらず、當に更めて十月を取るべしと。運司遂に芻粟を散ず。既にして復た檄を為りて云う、賊且に塞に入らんとす、當に時を以て軍を進むべし、芻粟即日に辦を取れと。是の時、民の輸輓する者適々散ず。倉卒に復た集む可からず。繼隆遂に轉運司の軍興に乏しと奏す。太宗大いに怒り、立ちどころに中使一人を召し、驛に乘りて馳せて轉運使盧之翰・竇玭及び某人の首を取らしむ。丞相呂端・樞宻使柴禹錫皆な敢えて言わず。惟だ若水のみ之を爭い、先ず推驗して狀有りて然る後に法を行わんことを請う。上大いに怒り、衣を拂いて起ちて禁中に入る。二府皆な罷む。獨り若水のみ廷中に留まりて去らず。乆しくして上出でて之を詰りて曰く、爾、同州の推官を以て再期にして樞宻副使と為る。朕の擢用する所以は、爾を以て賢と為せばなり。爾乃ち不才なること是くの如きかと。對えて曰く、陛下、臣の無狀なるを知らずして二府に待罪するを得しむ。臣當に愚慮を竭くし死亡を避けずして陛下を補益し、以て厚恩に報ゆべし。李繼隆は外戚貴重にして比ぶ莫し。陛下、其の一幅の奏書に據りて三轉運使を誅す。罪有りと雖も、天下何に由りて之を知らん。事狀を鞫驗して明白にして誅を加うるも、亦た何ぞ晚からんや。可を獻じ否を替うるは、死して以て之を守るは臣の常分なり。臣未だ死を獲ず、固より敢えて退かずと。上の意解け、乃ち呂端等を召して奏請せしむること若水の議の如し。先ず狀を責めしむ。之を許す。三人皆な黜けられて行軍副使と為る。既にして虜の塞に入らんと欲するは、事皆な虛誕なり。繼隆坐して招討を罷めて秦州を知る。
現代語訳
李継隆は転運使の盧之翰と仲が悪く、罪に陥れようとした。そこで転運司に檄を送って八月に塞を出ると告げ、飼葉と兵糧を用意させた。転運司が徴発してちょうど集まった。継隆はまた檄を作って「八月は出兵に不利だ、あらためて十月にする」と言った。転運司はそこで飼葉と兵糧を解散させた。ほどなくまた檄を作って「賊が今にも塞に入る、時を移さず軍を進めるべきだ、飼葉と兵糧を即日整えよ」と言った。このとき運搬に当たっていた民はちょうど散ったばかりで、急に集め直すことができなかった。継隆はそこで、転運司が軍需の供給を怠ったと奏上した。太宗はひどく怒り、ただちに使者一人を召して、駅馬を乗り継いで急行し、転運使の盧之翰・竇玭とある者の首を取ってくるよう命じた。丞相の呂端も枢密使の柴禹錫も、みなあえて何も言わなかった。ただ銭若水だけがこれを争い、まず取り調べて事実が明らかになってから法を行うよう願い出た。太宗はひどく怒り、袖を払って立ち上がり奥へ入った。二府の者はみな退出した。銭若水だけが朝廷に留まって去らなかった。しばらくして太宗が出てきて詰った。「おまえは同州の推官から二期で枢密副使になった。私が引き上げたのは、おまえを賢いと思ったからだ。それがこれほど無能なのか」。銭若水は答えた。「陛下は臣のふつつかをご存じないまま、二府の職に就かせてくださいました。臣は愚かな考えを尽くし、死を避けずに陛下を補い、厚い恩に報いるべきです。李継隆は外戚として並ぶ者なく貴い身分です。陛下は彼の一枚の上奏文によって三人の転運使を誅そうとしておられます。たとえ罪があったとしても、天下はどうしてそれを知ることができましょう。事実を取り調べて明らかにしてから誅を加えても、決して遅くはありません。よいことを勧めよくないことを改めさせ、死をもってそれを守るのは臣の当然の分です。臣はまだ死んでおりませんから、退くわけにはまいりません」。太宗の怒りは解けた。そこで呂端らを召して、銭若水の議のとおり奏請させた。まず事実の申し開きを求めさせることとし、これを許した。三人はみな退けられて行軍副使となった。ほどなく、敵が塞に入ろうとしているという話は、すべて虚偽だと分かった。継隆はそのために招討使を罷免され、秦州の知事となった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公十五年 韓原の戦い壬戌、韓原に戰ふ。晉の戎馬濘に還りて止まる。公慶鄭を號ぶ。慶鄭曰く、「諫に愎り卜に違ふ、固より敗を是れ求む、又何ぞ逃れん」と。遂に之を去る。梁由靡韓簡を御し、虢射右と為り、秦伯を輅へ、將に之を止めんとす。鄭公を救ふを以て之を誤らしめ、遂に秦伯を失ふ。秦晉侯を獲て以て歸る。晉の大夫首を反し舍を拔きて、之に從ふ。秦伯使ひして辭せしめて曰く、「二三子何ぞ其れ慼へるや。寡人の君に從ひて西するや、亦た晉の妖夢を是れ踐むのみ、豈に敢へて以て至らんや」と。晉の大夫三拜稽首して曰く、「君は后土を履みて皇天を戴く。皇天后土、實に君の言を聞く、群臣敢へて下風に在らん」と。穆姬晉侯の將に至らんとするを聞き、大子罃・弘と女簡・璧とを以て、臺に登りて薪を履む。免服衰絰を以て逆へしめ、且つ告げしめて曰く、「上天災を降し、我が兩君をして玉帛を以て相見えずして、戎を興すを以てせしむ。若し晉君朝に以て入らば、則ち婢子夕べに以て死せん。夕べに以て入らば、則ち朝に以て死せん。唯だ君之を裁け」と。乃ち諸を靈臺に舍らしむ。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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史記 宋微子世家微子開は、殷の帝乙の首子にして帝紂の庶兄なり。紂既に立ち、明らかならず、政に淫乱す。微子数々諫むるも、紂聴かず。祖伊周の西伯昌の徳を修め、黎国を滅ぼすを以て、禍の至らんことを懼れ、以て紂に告ぐるに及ぶ。紂曰く、「我が生は命天に在る有らずや。是れ何をか能く為さん」と。是に於て微子、紂の終に諫むべからざるを度り、之に死せんと欲し、及び去らんとするも、未だ自ら決すること能はず。乃ち太師・少師に問ひて曰く、「殷は治政有らず、四方を治めず。我が祖遂に上に陳ぶ。紂酒に沈湎し、婦人是れ用ひ、湯の徳を下に乱敗す。殷既に小大好んで草窃姦宄し、卿士師師度に非ず、皆罪辜有り、乃ち維れ獲ること无し。小民乃ち并び興り、相敵讎と為る。今殷其れ典喪へり。水を渉るに津涯无きが若し。殷遂に喪ひ、越に今に至る」と。曰く、「太師、少師、我其れ発して出で往かんか。吾が家喪に保たんか。今女故无くして予に告ぐ。顛躋(てんせい)せば、之を如何せん」と。太師若(かく)のごとく曰く、「王子、天篤く菑(わざはひ)を下して殷国を亡ぼす。乃ち畏るべきを畏れず、老長を用ひず。今殷の民乃ち神祇の祀を陋淫す。今誠に国を治むるを得ば、国治まりて身死すとも恨みず。死を為して、終に治むるを得ずんば、去るに如かず」と。遂に亡ぐ。箕子は、紂の親戚なり。紂始めて象箸を為る。箕子嘆じて曰く、「彼象箸を為らば、必ず玉桮を為らん。桮を為らば、則ち必ず遠方の珍怪の物を思ひて之を御せん。輿馬宮室の漸、此より始まり、振ふべからず」と。紂淫泆を為す。箕子諫むるも、聴かず。人或いは曰く、「以て去るべし」と。箕子曰く、「人臣為りて諫めて聴かれずして去るは、是れ君の悪を彰らかにして自ら民に説(よろこ)ばるるなり。吾為すに忍びざるなり」と。乃ち髪を被り詳狂して奴と為る。遂に隠れて琴を鼓きて以て自ら悲しむ。故に之を伝へて箕子操と曰ふ。王子比干は、亦た紂の親戚なり。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 楽書上は朝廷より、下は人民に至るまで、以て歓喜を接し、殷勤を合するを得、此の和説に非ずんば通ぜず、解沢流れず、亦各々一世の化、時を度るの楽なり、何ぞ必ずしも華山の騄耳にして而る後に遠きを行かんや」と。二世之を然りとす。高祖、沛を過りて三侯の章を詩し、小児をして之を歌はしむ。高祖崩じ、沛をして四時に宗廟に歌舞するを得しむ。孝恵・孝文・孝景は増更する所無く、楽府に於いて常を習ひ旧を肄ふのみ。今上即位するに至り、十九章を作り、侍中李延年をして其の声を次序せしめ、拝して協律都尉と為す。一経に通ずるの士も独り其の辞を知る能はず、皆五経の家を集会し、相与に共に講習して之を読み、乃ち能く其の意を通知す、多く爾雅の文なり。漢家常に正月上辛を以て太一を甘泉に祠り、昏時を以て夜祠り、明に到りて終はる。常に流星の祠壇の上を経る有り。僮男僮女七十人をして俱に歌はしむ。春は青陽を歌ひ、夏は朱明を歌ひ、秋は西暤を歌ひ、冬は玄冥を歌ふ。世に多く有り、故に論ぜず。又嘗て神馬を渥洼の水中に得て、復た次して以て太一の歌と為す。歌曲に曰く、「太一貢ぎて天馬下る、赤汗に霑ひて沫赭を流す。騁せて容与として万里を跇ゆ、今安んぞ匹せん、龍を友と為す」と。後に大宛を伐ちて千里の馬を得、馬の名は蒲梢、次して作りて以て歌と為す。歌詩に曰く、「天馬来たる、西極よりす。万里を経て有徳に帰す。霊威を承けて外国を降し、流沙を渉りて四夷服す」と。中尉汲黯進みて曰く、「凡そ王者の楽を作るは、上は以て祖宗を承け、下は以て兆民を化す。今陛下馬を得て、詩して以て歌と為し、宗廟に協す、先帝百姓豈に能く其の音を知らんや」と。上黙然として説ばず。丞相公孫弘曰く、「黯は聖制を誹謗す、当に族すべし」と。凡そ音の起こるは、人心より生ずるなり。人心の動くは、物之をして然らしむるなり。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又喩ヘテ云ハ。賢君明主ハ忠臣ヲ信任シ。諫言ヲ用ル如クシヤ。漢ノ高祖カ諫ニ従フコト流ノ如ク。唐ノ太宗ノ魏徴カ苦諫ノ言ヲ用ヒアリシ類。ソノ如ク。正法ノ因縁アル者ハ必ス不邪見戒ニ随順スルシヤ。此ニ反シテ宿福ナキ者ハ。智者モ愚者モ。学者モ不学者モ仏アルコトヲ信セヌ。法アルコトヲ信セヌ。聖賢アルコトヲ信セヌ。神祇有コトヲ信セヌ。善悪報応有コトヲ信セヌシヤ。

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