宋名臣言行録 / 後集巻九・蘇軾
王介甫用事多所建立公與介甫議論素異既還朝寘之官告院四年介甫欲更變科舉上疑焉使兩制三館議之公議上即日召見問何以助朕公辭避久之乃曰臣竊意陛下求治太急聽言太廣進人太銳願陛下安静以待事來然後應之上竦然曰卿言朕當詳思之
新字:王介甫用事多所建立公与介甫議論素異既還朝寘之官告院四年介甫欲更変科舉上疑焉使両制三館議之公議上即日召見問何以助朕公辞避久之乃曰臣竊意陛下求治太急聴言太広進人太銳願陛下安静以待事来然後応之上竦然曰卿言朕当詳思之
書き下し
王介甫事を用い建立する所多し。公と介甫と議論素より異なる。既に朝に還るや之を官告院に寘くこと四年。介甫科舉を更變せんと欲す。上焉を疑い、兩制・三館をして之を議せしむ。公の議上ると即日召し見て問う、何を以て朕を助けんと。公辭避すること久しくして乃ち曰く、臣竊かに意う、陛下治を求むること太だ急に、言を聽くこと太だ廣く、人を進むること太だ鋭し。願わくは陛下安静にして以て事の來たるを待ち、然る後に之に應ぜよと。上竦然として曰く、卿の言、朕當に詳らかに之を思うべしと。
現代語訳
王安石が政を執り、新たに立てるものが多かった。公と王安石とは、議論がもとから食い違っていた。朝廷に戻ってからは、官告院に置かれること四年に及んだ。王安石が科挙を変えようとした。天子はこれに疑いを抱き、両制と三館に議論させた。公の議が上がると、その日のうちに召して会い、問うた。「何をもって朕を助けるか」。公は長く辞退したのち、こう言った。「臣がひそかに思いますに、陛下は治を求めることが急すぎ、言を聴くことが広すぎ、人を進めることが鋭すぎます。どうか陛下、静かにして事が来るのを待ち、そのうえでこれに応じてください」。天子ははっとして言った。「卿の言、朕はよくよく考えてみよう」。
解説
三つの短所を挙げましたが、どれも悪徳ではありません。**治を求めることが急すぎ、言を聴くことが広すぎ、人を進めることが鋭すぎます。**熱心で、耳を開いていて、人材登用に思い切りがある。美徳として褒められるものばかりです。行き過ぎとして数え上げたところが眼目でした。とくに二つ目が効いています。広く聴けば、言う者が増える。増えれば、聞こえのよい案が通る。**静かにして事が来るのを待ち、そのうえでこれに応じてください。**
この章句が説くこと
王介甫事を用い建立する所多し公と介甫と議論素より異なる公の議上ると即日召し見て問う何を以て朕を助けん陛下治を求むること太だ急に言を聴くこと太だ広く人を進むること太だ鋭し願わくは陛下安静にして以て事の来たるを待ち然る後に之に応ぜよ急広
関連する章句
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李衛公問対・卷中誘うを以て来るを待ち、静を以て躁を待ち、重きを以て軽きを待ち、厳を以て懈を待ち、治を以て乱を待ち、守を以て攻を待つ。
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老子・第4章道は沖にして、之を用うるも或いは盈たず。淵たり、万物の宗に似たり。其の鋭を挫き、其の紛を解き、其の光を和らげ、其の塵に同じくす。湛たり、或いは存するに似たり。吾れ誰の子なるかを知らず、帝の先に象たり。
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