宋名臣言行録 / 後集巻十一・范純仁
夫應舉亦自寒士無禄不得巳藉此進身耳如得巳何用應舉范公最有見識然亦以資䕃與進士分優劣建言於有無出身人銜位上帶左右字不可謂無所蔽也其言曰欲使公卿家子弟讀書耳此意甚善但以應舉得官者為讀書而加奨焉則彼讀書者應舉得官而止耳豈真學道之人
新字:夫応舉亦自寒士無禄不得巳藉此進身耳如得巳何用応舉范公最有見識然亦以資䕃与進士分優劣建言於有無出身人銜位上帯左右字不可謂無所蔽也其言曰欲使公卿家子弟読書耳此意甚善但以応舉得官者為読書而加奨焉則彼読書者応舉得官而止耳豈真学道之人
書き下し
夫れ擧に應ずるも自ら寒士の禄無くして已むを得ず此を藉りて身を進むるのみ。如し已むを得ば何ぞ擧に應ずるを用いん。范公は最も見識有り。然れども亦た資蔭と進士とを以て優劣を分かち、有無出身の人の銜位の上に左右の字を帶びしむるを建言す。蔽う所無しと謂う可からざるなり。其の言に曰く、公卿の家の子弟をして讀書せしめんと欲するのみと。此の意は甚だ善し。但だ擧に應じて官を得る者を以て讀書と爲して奬を加うれば、則ち彼の讀書する者は擧に應じて官を得て止むのみ。豈に眞に道を學ぶの人ならんや。
現代語訳
そもそも試験に応じるのも、貧しい士に禄がなく、やむを得ずこれによって身を立てるというだけのことである。もしやらずに済むなら、どうして試験に応じる必要があろうか。范公は最も見識のある人である。それでもやはり蔭位と進士とで優劣を分け、出身の有無によって人の官職名の上に左右の字を付けさせることを建議した。目を覆われたところがないとは言えない。その言い分は、公卿の家の子弟に読書させたいだけだ、というものである。この意図はたいそうよい。しかし、試験に応じて官を得た者を読書したものとして奨励を加えれば、その読書する者は、試験に応じて官を得たところでやめてしまうだけである。どうして本当に道を学ぶ人であろうか。
解説
奨励の副作用を突いた段です。目的そのものは正しい。**公卿の家の子弟に読書させたいだけだ、というものである。この意図はたいそうよい。**問題は、何をもって読書と認めるかでした。**試験に応じて官を得た者を読書したものとして奨励を加えれば。**すると読書の終点が合格になります。**その読書する者は、試験に応じて官を得たところでやめてしまうだけである。**測り方が、行動の終わりを決めてしまう。
この章句が説くこと
夫れ挙に応ずるも自ら寒士の禄無くして已むを得ず此を藉りて身を進むるのみ有無出身の人の銜位の上に左右の字を帯びしむるを建言す其の言に曰く公卿の家の子弟をして読書せしめんと欲するのみ挙に応じて官を得る者を以て読書と為して奨を加うれば則ち彼の読書する者は挙に応じて官を得て止むのみ奨励目的
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