宋名臣言行録 / 後集巻十一・范純仁
文正公門下多延賢士如胡瑗孫復石介李覯之徒與公從遊晝夜肄業置燈帳中夜分不寢後公貴夫人猶收其帳頂如墨色時以示子孫曰爾父少時勤學燈煙迹也
新字:文正公門下多延賢士如胡瑗孫復石介李覯之徒与公従遊昼夜肄業置灯帳中夜分不寝後公貴夫人猶収其帳頂如墨色時以示子孫曰爾父少時勤学灯煙迹也
書き下し
文正公の門下多く賢士を延く。胡瑗・孫復・石介・李覯の徒の如し。公と從遊し晝夜業を肄む。燈を帳中に置き夜分にも寢ねず。後に公貴く、夫人猶お其の帳の頂の墨色の如きを收め、時に子孫に示して曰く、爾らの父の少き時の勤學、燈煙の迹なりと。
現代語訳
范仲淹の門下には多くの賢士を招いていた。胡瑗・孫復・石介・李覯といった人たちである。公と行き来して、昼も夜も学業に励んだ。灯を幕の中に置き、夜半になっても寝なかった。後に公が高位に上ってから、夫人はなおその幕の天井が墨のように黒くなったものを取っておき、ときどき子や孫に示して言った。「おまえたちの父が若いころの勤学、灯の煙の跡です」。
解説
証拠として残されたものが、賞状でも書物でもありませんでした。**その幕の天井が墨のように黒くなったもの。**灯を幕の中に置いて夜半まで読んだ、その煤です。捨てられていておかしくない布を、夫人が取っておきました。そして見せる相手が子や孫でした。**おまえたちの父が若いころの勤学、灯の煙の跡です。**成し遂げたことではなく、費やした夜の量が残っています。
この章句が説くこと
文正公の門下多く賢士を延く胡瑗孫復石介李覯の徒の如し公と従遊し昼夜業を肄む灯を帳中に置き夜分にも寝ねず夫人猶お其の帳の頂の墨色の如きを収め時に子孫に示す爾らの父の少き時の勤学灯煙の迹なり勤学灯
関連する章句
-
『宋名臣言行録』前集巻七・范仲淹公の子純仁、婦を娶る。將に歸らんとす。或るひと、婦、羅を以て帷幔と為すと傳う。公之を聞きて悦ばずして曰く、羅綺、豈に帷幔の物ならんや。吾が家は素より清儉なり。安んぞ吾が家法を亂すを得んや。敢えて持ちて吾が家に至らば、當に庭に火かんと。
-
『宋名臣言行録』後集巻十一・范純仁公國を憂え君を愛し、利害得喪を以て其の心を貳にせず。名節に刻意し、進み難く退き易し。屡ミ黜廢せらると雖も志氣彌ミ勵む。以て文正の風有りと爲す。其の朝廷に在るや、專ら人材を奬進するを務む。故に天下の善類は公の用捨を視て以て消長と爲す。其の論議は平恕にして已甚を爲さず。世に謂う、其の言をして熙寧・元豐の時に行われしめば後に必ず紛更に至らず、盡く元祐の中に申べしめば必ず紹聖大臣讎復の禍無からんと。
-
『宋名臣言行録』前集巻七・范仲淹公、南都の學舍に處る。晝夜苦學すること五年、未だ嘗て衣を解きて寢に就かず。夜、或いは昬怠すれば、輙ち水を以て面に沃ぐ。往往にして饘粥充たず、日昃きて始めて食う。同舍生、或いは珍饍を饋る。皆な拒みて受けず。
-
『宋名臣言行録』前集巻七・范仲淹公、二歳にして孤たり。母夫人、貧にして依る無く、再び長山の朱氏に適く。既に長じて其の世家を知る。感泣して之を去り、南都に之きて學舍に入る。一室を掃きて、晝夜講誦す。其の起居飲食は人の堪えざる所なり。而して公、自ら刻すること益々苦なり。居ること五年、大いに六經の㫖に通ず。文章・論説を為すに必ず仁義に本づく。
-
『宋名臣言行録』前集巻七・范仲淹公、政府より出でて姑蘓に歸る。黄を焚き、外庫を搜すに、惟だ絹三千匹有るのみ。親戚及び閭里の知舊を錄して之を散じて皆な盡くす。曰く、宗族・鄉黨、我の生長し、幼くして學び壯にして仕うるを見る。我を助けて喜ぶ。我、何を以て之に報いんやと。
-
『宋名臣言行録』後集巻十一・范純仁宣仁寢疾す。宰輔入りて問う。后忠宣を留めて曰く、卿の父仲淹は忠臣と謂う可し。章獻の朝に在りては后に母の道を盡くすを勸め、仁宗の朝に在りては帝に子の道を盡くすを勸めたり。卿當に之に似るべしと。