宋名臣言行録 / 前集巻四・楊億
公凡為文所用故事常令諸生子弟檢討出處每叚用小片紙錄之既成則綴粘所錄而蓄之時人謂之衲被焉
新字:公凡為文所用故事常令諸生子弟検討出処毎叚用小片紙録之既成則綴粘所録而蓄之時人謂之衲被焉
書き下し
公、凡そ文を為るに用いる所の故事は、常に諸生・子弟をして出處を檢討せしむ。毎叚、小片紙を用いて之を錄す。既に成れば則ち錄する所を綴粘して之を蓄う。時人、之を衲被と謂う。
現代語訳
公は文章を作るのに用いる故事は、いつも門下の学生や子弟に出典を調べさせた。ひと段ごとに小さな紙片を使ってそれを書き取らせた。出来上がると、書き取ったものを貼り継いで蓄えておいた。当時の人はそれを「衲被」——継ぎはぎの布団と呼んだ。
解説
前の条の速さの、裏側にあった仕組みです。使う故事は必ず門下に出典を調べさせ、ひと段ごとに小さな紙片に書き取らせ、出来上がると貼り継いで蓄えておく。当時の人はそれを「継ぎはぎの布団」と呼びました。飛ぶように書けたのは、材料が先に紙片の形で揃っていたからです。速さは才能だけの話ではありませんでした。速さは才能だけの話ではなかった、というのが要点です。
この章句が説くこと
用いる所の故事は常に諸生子弟をして出処を検討せしむ毎叚小片紙を用いて之を録す既に成れば則ち録する所を綴粘して之を蓄う時人之を衲被と謂う準備蓄積出典
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