宋名臣言行録 / 後集巻五・吕誨
權御史中丞時有侍臣棄官家居者王安石朝野稱其材天子引參大政衆皆喜於得人獻可獨以為不然居無何棄衆任已厭常為竒多變祖宗法専汲汲歛民財所愛信引拔時或非其人天下大失望獻可屢爭不能得乃抗章悉條其過失且曰誤天下蒼生必此人如乆居廟堂必無安靜之理上遣使諭解執之愈堅乃罷中丞出知鄧州
新字:権御史中丞時有侍臣棄官家居者王安石朝野称其材天子引参大政衆皆喜於得人献可独以為不然居無何棄衆任已厭常為奇多変祖宗法専汲汲歛民財所愛信引抜時或非其人天下大失望献可屢争不能得乃抗章悉条其過失且曰誤天下蒼生必此人如乆居廟堂必無安静之理上遣使諭解執之愈堅乃罷中丞出知鄧州
書き下し
權御史中丞たる時、侍臣の官を棄てて家居する者有り。王安石なり。朝野其の材を稱す。天子引きて大政に參ぜしむ。衆皆人を得たるを喜ぶ。獻可獨り以て然らずと爲す。居ること無何、衆を棄て己に任じ、常を厭い奇を爲し、多く祖宗の法を變じ、專ら汲汲として民財を歛む。愛信して引拔する所、時に或いは其の人に非ず。天下大いに失望す。獻可屢ミ爭うも得る能わず。乃ち抗章して悉く其の過失を條し、且つ曰く、天下の蒼生を誤るは必ず此の人なり。如し久しく廟堂に居らば、必ず安靜の理無からんと。上使いを遣わして諭解す。執ること之れ愈ミ堅し。乃ち中丞を罷めて出でて鄧州を知す。
現代語訳
臨時の御史中丞であったとき、侍臣で官を棄てて家に居る者があった。王安石である。朝廷も民間もその才を称えた。天子は引き上げて大政に参加させた。人々はみな人を得たと喜んだ。呂誨ひとりがそうではないと考えた。ほどなく、衆議を棄てて自分の判断に任せ、常のやり方を厭って奇を衒い、多く祖宗の法を変え、もっぱらあくせくと民の財を取り立てた。目をかけて引き上げる者は、時にふさわしい人ではなかった。天下は大いに失望した。呂誨はたびたび争ったが通らなかった。そこで上章してその過失をことごとく箇条書きにし、そのうえで言った。「天下の民を誤らせるのは、必ずこの人です。もし長く政府に居れば、必ず安らかに静まる道理はありません」。天子は使者を遣わして言い含めた。呂誨の主張はいよいよ固かった。そこで中丞を辞めて、外に出て鄧州の知事となった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『宋名臣言行録』後集巻八・吕公著介甫は晦叔と素より親し。臺諫に横議多きを患う。故に晦叔を用いて中丞と爲す。既にして天下皆條例司の民の害と爲るを患う。晦叔乃ち復た條例の不便を言う。介甫晦叔の己に叛くを以て之を怨むこと尤も深し。已にして上執政に語る、呂公著嘗て韓琦將に晉陽の甲を興して以て君側の惡を除かんとすと言えりと。介甫因りて用いて晦叔の罪と爲し、頴州を知せしむ。
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『宋名臣言行録』後集巻五・吕誨獻可色を正して曰く、君實も亦た此の言を爲すか。安石は時名有り、上の意の向かう所と雖も、然れども好んで偏見を執り、物情に通ぜず。輕信にして囘し難く、人の己に佞するを喜ぶ。其の言を聽けば則ち美なるも、用に施せば則ち疎なり。若し侍從に在らば猶お或いは容る可し。諸を宰輔に置かば則ち天下は必ず其の弊を受けんと。
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『宋名臣言行録』後集巻六・王安石呂誨、公の十事を論ず。公力めて位を去るを求む。上爲に呂公を出だす。而して韓魏公も亦た上疏して青苗法を論じ、諸路の提舉官を罷めんことを乞う。奏至りて公疾と稱して分司を乞う。上許さず。公入りて謝す。
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『宋名臣言行録』後集巻五・吕誨神宗は天資節儉なり。老宮人の言を得るに因りて、祖宗の時の妃嬪公主の月俸甚だ微なるを知り、其の及ぶ可からざるを嘆ず。安石獨り曰く、陛下果たして能く財を理めば、天下を以て自ら奉ずと雖も可なりと。帝始めて青苗助役の法を主とするに意有り。安石の術は類ミ此くの如し。故に呂誨の彈章に曰く有り、外に朴野を示し、中に狡詐を懷くと。
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『宋名臣言行録』後集巻六・王安石公政を秉り天下の務めを更新す。而して宿德舊人の論議多く協わず。遂に新進を選用し、待するに不次を以てす。故に一時の政事は日ならずして皆舉がる。而して兩禁・臺閣・内外の要權は新進に非ざる莫し。三司の市易を論ずるに洎び、呂參政指して法を沮むと爲す。公信じて以て然りと爲し、堅く罷相を乞う。既に出づるに、呂嘉問・張諤公を持して泣く。公之を慰めて曰く、已に呂惠卿を薦めたりと。二子涙を收む。
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『宋名臣言行録』後集巻十三・陳瓘初め蔡京翰林學士承旨と爲り、辭命を以て職と爲す。潛かなる姦、隠れたる慝、未だ事に形われず。公是の時に於いて力めて京の用う可からざるを言う。之を用うれば必ず腹心の患を爲さん、と。聞く者往往にして其の言を甚しとす。已にして寵を怙み妄りに作すこと、悉く公の言の如し。是に於いて人始めて公の蓍□爲るに服するなり。昔王安石大政に參ず。士大夫相い朝に慶す。呂獻可獨り章を抗げて之を論ず。温公と雖も猶お以て太だ遽なりと爲す。未だ幾ばくならずして祖宗の故事を變更す。毒を流して今に至るまで未だ殄びざるなり。故に温公每に人に謂いて曰く、獻可の先見は予の及ばざる所なり、と。余以謂えらく、公の京に於けるは、之を未だ用いざるの前に言う。獻可の文公に於けるは、之を既に用うるの後に論ず。則ち公の先見は、獻可に於いて光有り。