宋名臣言行録 / 後集巻一・韓琦
又好進之人不頋利害但得邉事將作富貴可圖必曰虜勢已衰特外恃驕慢爾以陛下神聖文武若擇將臣領大兵深入虜境則幽燕之地一舉可復此又未之思也今河朔累嵗災傷民力大乏將官麄勇寡謀保甲未經訓練若驅重兵頓於堅城之下粮道不繼腹背受敵雖曹彬米信名德宿將猶以此致岐溝之敗也
新字:又好進之人不頋利害但得邉事将作富貴可図必曰虜勢已衰特外恃驕慢爾以陛下神聖文武若択将臣領大兵深入虜境則幽燕之地一舉可復此又未之思也今河朔累歳災傷民力大乏将官麄勇寡謀保甲未経訓練若駆重兵頓於堅城之下粮道不継腹背受敵雖曹彬米信名徳宿将猶以此致岐溝之敗也
書き下し
又た進むを好むの人は利害を顧みず、但だ邊事將に作らんとするを得ば富貴圖る可しとし、必ず曰わん、虜勢已に衰う。特だ外に驕慢を恃むのみ。陛下の神聖文武を以て、若し將臣を擇びて大兵を領し、深く虜境に入らば、則ち幽燕の地一舉して復す可しと。此れ又た未だ之を思わざるなり。今河朔は累歳災傷し、民力大いに乏し。將官は麤勇にして謀寡なく、保甲は未だ訓練を經ず。若し重兵を驅りて堅城の下に頓せば、糧道繼がず、腹背に敵を受けん。曹彬・米信のごとき名德の宿將と雖も、猶お此を以て岐溝の敗を致すなり。
現代語訳
また、出世を好む人は利害を顧みず、ただ辺境の事さえ起これば富貴が図れるとして、必ずこう言うでしょう。契丹の勢いはすでに衰えている、ただ外に向かって驕り高ぶってみせているだけだ、陛下の神聖にして文武を兼ねたお力をもって、もし将軍を選んで大軍を率い、深く敵地に入れば、幽燕の地は一挙に回復できる、と。これもまた考えの足りないことです。いま河朔は数年にわたって災害と凶作が続き、民の力は大いに乏しくなっています。将官は荒々しく勇ましいが謀が乏しく、保甲はまだ訓練を経ていません。もし重い兵を駆り立てて堅い城の下に留めれば、糧道は続かず、前後から敵を受けることになります。曹彬や米信のような、名も徳もある古参の将軍でさえ、まさにこれによって岐溝の敗北を招いたのです。
解説
開戦論の出どころを、まず名指しします。**出世を好む人は利害を顧みず、ただ辺境の事さえ起これば富貴が図れるとする。**主戦論が、外の情勢ではなく内の出世から生まれることがある、という見方です。反論は威勢ではなく在庫でした。**河朔は数年にわたって災害と凶作が続き、民の力は乏しい。将官は荒々しいが謀が乏しく、保甲はまだ訓練を経ていない。**そして先例を一つ置きます。**曹彬や米信のような古参の将軍でさえ、これによって岐溝の敗北を招いた。**人の器量ではなく、糧道が続かない条件のほうが勝敗を決めた、と。
この章句が説くこと
但だ辺事将に作らんとするを得ば富貴図る可しとす虜勢已に衰う特だ外に驕慢を恃むのみ将官は麤勇にして謀寡なく保甲は未だ訓練を経ず糧道継がず腹背に敵を受けん開戦動機
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