宋名臣言行録 / 後集巻十二・劉安世
厯疏太師平章軍國重事彦博司空平章軍國事公著左僕射大防右僕射純仁門下侍郎固左丞存右丞宗愈堂除子弟親戚凡數十人且曰中書侍郎摯未見所引私親而依違其間不能紏正雷同循黙豈得無罪願出臣此章徧示三省俾自此以往厲精更始
新字:厯疏太師平章軍国重事彦博司空平章軍国事公著左僕射大防右僕射純仁門下侍郎固左丞存右丞宗愈堂除子弟親戚凡数十人且曰中書侍郎摯未見所引私親而依違其間不能紏正雷同循黙豈得無罪願出臣此章遍示三省俾自此以往厲精更始
書き下し
太師平章軍國重事彦博、司空平章軍國事公著、左僕射大防、右僕射純仁、門下侍郎固、左丞存、右丞宗愈の、堂除せる子弟親戚凡そ數十人を歷疏す。且つ曰く、中書侍郎摯は、未だ引く所の私親を見ざるも、其の間に依違して紏正する能わず。雷同循黙、豈に罪無きを得んや。願わくは臣の此の章を出して徧く三省に示し、此れより以往、精を厲まして更始せしめられんことを、と。
現代語訳
太師・平章軍国重事の文彦博、司空・平章軍国事の呂公著、左僕射の呂大防、右僕射の范純仁、門下侍郎の韓忠彦、左丞の王存、右丞の鄭宗愈について、政事堂の裁量で任じた子弟や親戚あわせて数十人を、一人ずつ列挙した。そのうえで言った。「中書侍郎の劉摯には、引き立てた身内はまだ見あたらないものの、そのあいだで曖昧にして正すことができていない。付和雷同して黙ったままでいるのが、どうして罪がないと言えましょうか。どうか臣のこの上奏文を出して、あまねく三省に示し、これから先は気を引き締めて改めさせてくださいますよう」。
解説
名指しの相手が、自分と同じ側の人々でした。文彦博、呂公著、呂大防、范純仁。新法を退けて政権に戻ってきた顔ぶれです。しかも一人ずつ、数十人分を書き出しています。さらに、身内を引いていない人まで外しませんでした。**引き立てた身内はまだ見あたらないものの、そのあいだで曖昧にして正すことができていない。**黙っていることを罪に数えます。そして密かに直させず、公開を求めました。**あまねく三省に示し。**
この章句が説くこと
堂除せる子弟親戚凡そ数十人を歴疏す中書侍郎摯は未だ引く所の私親を見ざるも其の間に依違して紏正する能わず雷同循黙豈に罪無きを得んや願わくは臣の此の章を出して遍く三省に示し此れより以往精を厲まして更始せしめられんことを名指身内
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